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温泉夜話 ゲーテ、ベートーベンと温泉のはなし [温泉マニア]

温泉夜話 ゲーテ、ベートーベンと温泉のはなし
ゲーテ、ベートーベンと温泉のはなし.jpg
金森 達 画

欧州屈指のチェコの温泉地、カルロヴィ・ヴァリ(英語名:カールスバート)は、14世紀に当時ローマ帝国のカレル4世が狩のときに偶然発見された。その治癒力(飲泉)が欧州中に広がり、18世紀末~19世紀には王侯貴族以外にも、ゲーテ、トルストイ、ベートーベン、ショパン、マルクスなど歴史上の人物が温泉療養に訪れている。特にゲーテ(1749年~1832年)とベートーベン(1770年~1827年)の温泉療養について取り上げてみたい。

ゲーテの温泉好きは有名だったようで、1786年9月3日~1788年6月18日の「イタリア旅行」に旅立った出発点は、ボヘミア(現在のチェコ)のカールスバート(カルロヴィ・ヴァリ)からだった。カールスバートは、東欧有数の名湯で、炭酸泉、アルカリ泉、塩素泉と種類や湯量が豊富であり、万病に効くと有名だった。ゲーテは83歳の生涯に「比較的大きな旅を40回以上、比較的近い小旅行140回に及ぶ・・・」(ゲーテ全集12巻解説:野村一郎氏)ボヘミアへは第一次1785年(研究者によっては1786年)に最初の温泉療養地カールスバートへ行き、第二次1786年、第三次1795年の16回のうちカールスバートへは13回、他にマリーエンバートへ、フランチェンバート、テプリッツへ。1801年にバート・ピルモント、1805年にバート・ラウホシュタットで温泉療養をしている。1806年以降はカールスバートへ1807年、0809年、1810年、1811年、1812年、1818年、1819年、1820年の8回。最長は1808年の107日間、最短でも1819年、1820年の30日間。1813年にテプリッツに4ヶ月滞在。1814年にはヴィースバーデンに1ヶ月滞在。1820年、1821年、1822年、1823年にはマリンエンバートが含まれている。ボヘミア地方以外では1779年に1ヶ月余り、スイスのゲムミ山麓の湯治場ロイカ・バートに1泊で訪れている。ゲーテは胃腸障害やリウマチ・痛風に悩んでおり温泉療養が滞在の第一の目的、ゲーテは「この源泉で自分の生命がよみがえった」とまで絶賛していた。またボヘミアの自然研究や地質学、植物学の研究、それらを合わせてスケッチの対象としての療養の旅でもあった。

ゲーテとベートーベンのかかわりについて、ベートーベンは若いころからゲーテの作品を愛読しあこがれていた。ゲーテの戯曲「エグモント」序曲を1809年から1810年にかけて作曲していた。1810年5月にベッティーナ(当時25歳で義理の姉のウィーンの家に来て、ベートーベンの音楽を聴いた)の訪問を受ける。彼女がゲーテと結び付ける決定的な人物だった。当時ベートーベンは王宮劇場から依頼されゲーテの作品「戯曲エグモント序曲」や「新しい愛・新しい生」「哀愁の喜び」を手がけていた。
1812年7月19日(7月06日の説もある)、ベートーベン(42歳)はゲーテ(62歳)にテプリッツで初めて会った。(ゲーテと文通していたベッティーナが書いた書簡体小説に記述)ゲーテはこの時の印象を「私はこれまで、これほど強い集中力を持ち、これほどエネルギッシュで、しかも内面的な芸術家を見たことがない」と妻への手紙に書き記した。翌日も会って入浴もしている。21日夜、ゲーテはベートーベンの演奏を聞いている。28日~8月7日、カールスバートで恋人と合流し、“慈善コンサート”を開いた。同年9月8日にはベートーベンはカールスバートにゲーテを再訪し、20日間滞在している。ベートーベンは、1803年~1825年にかけてウィーン郊外の温泉地バーデンに毎年保養のため滞在している。ベートーベンが泊まった「バーデンホテルグランド」の中庭にはベートーベンの胸像がある。ベートーベンは1821年から23年にかけて、バーデンのパン屋の2階に住みそこは「ベートーベンハウス(博物館)」として公開されている。私は2006年8月にバーデン温泉入浴の折に訪ねたことがある。バーデンは当時の政財界・文化人の社交場であった。

時代的には、1789年フランス革命が起こり、諸国に戦乱に巻き込まれてきた時代で、同年ベートーベンはすでに聴覚の異常が始まり、耳鳴りがしていた。ウィーン郊外のハイリゲンシュタットで療養し、1802年10月6日、10日に弟のカールとヨハンに宛てた有名な「ハイリゲンシュタットの遺言」を書いている。この頃、「ピアノ・ソナタ第八番(悲愴)」を作曲した時期だ。ウィーンはすでにナポレオンのフランス軍に占領されていた。フランス革命による希望と戦争による悲惨とを体験した欧州諸国は、ナポレオンへの怨嗟の声と厭戦気分だった。新しい時代の到来を求めていた。その希望の一つにベートーべンの音楽があった。1806年神聖ローマ帝国が消滅、1808年ゲーテは枢密院参議官としてナポレオンと会見、政治にも多少かかわっていた。ベートーベンは、1807年~0808年に「交響曲第六(田園)」を作曲している。1809年10月14日、フランスとの間で平和条約が締結され、小康状態を迎えた。1813年プロイセンとロシアの同盟(ナポレオン軍の敗北)

ヨーロッパの温泉は、飲泉を中心とした治療を目的としたもので、浴槽は温泉プール的で、水中運動やジャグジーの水圧でマッサージをしてリハビリの手段として利用された。広い公園の中心には宮殿のような湯治館が建てられた。18世紀末に医師のベッヒャー(David Becher)が、飲用法に散歩を加えた新しい治療を提唱し、源泉を汲みに来る患者の為にホールが作られた。こうしてカルロヴィ・ヴァリは、ヨーロッパの社交場としての地位はゆるぎないものとなった。温泉療養目的以外に欧州諸国の王侯貴族にとって外交上の情報収集の場として利用された。当時の著名人にとっては、社交場に出入りすることで社会的な存在をアピールすることになった。

参考文献:西洋温泉事情 池内紀編集(1989年鹿島出版会刊)、ゲーテ全集12巻 紀行 潮出版社、朝日選書「ゲーテとその時代」坂井栄八郎著、「ベートーベンの生涯」青木やよひ著 平凡社新書など。

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