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山梨県嵯峨塩温泉など 「信玄公の隠し湯」めぐり [温泉巡浴]

NHK大河ドラマで「風林火山」の影響を受けて、武田家終焉の地・山梨県田野や信玄隠し湯めぐりに出かけた。

武田家終焉の地景徳院の山門・仁王像

立川で旧友と待ち合わせ、中央本線甲斐大和駅に降り立ったのが、2007年8月14日9時27分。

駅前にはもう甲州市(塩山市などが吸収合併で市名変更)営の路線バス「やまと」が停車していた。天目山までの運行で、どこまで行っても1回100円という安さ。

目的地はまず、信玄の隠し湯の嵯峨塩温泉「嵯峨塩館」に向かう。途中、景徳院、大和福祉センター(田野の湯)、日川渓谷レジャーセンター、やまと天目山温泉を通過して、終点の天目山に着く。ここは臨済宗の古刹栖雲寺、

1348年業海本浄が開山した名刹栖雲寺、巨石の自然庭園、

信玄の鉄の軍配や軍旗が保存されているという。
無人なのか、入り口に庭園参拝の参拝料箱が置かれ、300円を入れて入場する。和室の休憩所の縁側から自然庭園を鑑賞する。秋の紅葉がすばらしいとか、手入れが良くない印象である。宝物館を見たかったが、「たのもーう!」と声をかけたが誰も出てこない。境内に蕎麦切り発祥の地の碑がある。

後にお蕎麦をいただいた砥草庵の女将に聞くと「90歳のおばあさんしかいないので、大声で呼ばないと気がつかないようだ」とのこと。

 これから北へ向けて約3kmを歩く。嵯峨塩館は標高1300mなので、晴天とはいえすごしやすい。日川渓谷沿いの道路を上る。ずっと先は上日川峠を抜けて国道411号線の雲峰寺へ抜けて大菩薩峠へ抜けられる。人も車少ない。途中に何ヶ所かのキャンプ場がある。11時、嵯峨塩館の入り口は行灯風の「嵯峨塩館」の看板があり、レトロ風の世界へ導いてくれる。

入浴料500円を支払って、浴室へ行く。

日川渓谷沿いにある浴舎は、レトロな雰囲気に統一され、自然の樹木をふんだんに使っている。大浴場は床・壁・天井の梁・浴槽など総檜造りで肌に優しい。壁側に細長い湯上り場に手桶が置かれている。この湯と湯蛇口は、天然掛け流しで、つるつる感が一番ある。露天風呂は石組みの浴槽で、日川を眼下に、対岸の緑豊な眺望がすばらしい。大浴場の浴槽は、2×3.5mで10人はいっぺんに入ることができ、この宿の収容10部屋にしては十分だ。

源泉25度、ph10.2という強アルカリ性単純泉で、無色透明、無臭の温泉。昔から信玄の隠し湯として有名で、切り傷、打撲、腰痛、火傷、皮膚病、婦人病、胃腸病、冷え性、美肌効果がある。浴室入り口脇には、恵林寺の開山堂兼法堂に使われた鬼瓦が展示されていた。

 創業110余年、信玄公の隠し湯として秘湯にふさわしい環境を残すことを心がけているようで、カラオケはご法度だそうだ。川のせせらぎと小鳥のさえずり、四季の移り変わりを愛でながらの酒を一献という雰囲気だ。ここで出される料理は、食前酒からデザートまで全て手作りの山家料理。ロビーに樹齢560年という大楠の幹が飾られ、囲炉裏の間もあり、

いかにも秘湯を実感させる。

嵯峨塩館を出て天目山へ戻る。帰りは下り坂でずいぶん楽だ。栖雲寺を過ぎて、標高1,000mのやまと天目山温泉に着いたのが、12時36分。

施設は「やまとふれあいやすらぎセンター」で県外者の入浴料は800円。湧出して13年目で、ここから山へ800m行ったところが源泉。最初は村民のためだけの温泉だった。タイル張りの内湯と露天岩風呂がある。

源泉31.9度、ph10.3の強アルカリ性単純泉。嵯峨塩温泉より、成分が陽イオンのナトリウム、カリウム、カリウム、アルミ二ウム、鉄、陰イオンの塩素、硫酸、炭酸が多い。メタケイ酸が79.6mg。温度が30度以上で強アルカリ性温泉は珍しい。温いが天然源泉のみの湯船があり、ここが人気だ。この湯は飲泉もできる。売店で10ℓポリ容器を500円で販売している。アトピーや胃腸病、に効能がある。浴用では、神経痛、筋肉痛、打ち身、消化器病、疲労回復とうに効能がある。

 13時08分発の市営バスに乗り、天目山温泉で教えていただいた、そばの美味しいところレジャーセンターの「天目庵」で降りるが、そばは品切れだった。仕方なく、この店にいた方が営業しているというさらに下ったところまで歩く。右手に「土屋惣造片手切」の碑を通過し、蕎麦街道砥草庵に着く。


ここは十割そばも作っているところで、早速生ビールで乾杯。田楽みそと茄子油炒めもいただく。

 熱暑で水分を十分に補給し、次の目的地「田野の湯」へ向かう。1980年6月一度訪れたが、宿泊者以外は入浴できないと諦めたところだ。こちらも信玄公の隠し湯として石黒館、石川館の二軒あった旅館は廃業し、今は大和福祉センターのみが経営している。

明治時代から湯治湯で知られ、源泉は22.1度、ph10.3の弱硫黄を含む強アルカリ性単純泉。ここも肌につるつる感がある。内湯はタイル張りで、露天風呂は岩風呂。


ここから近道5分で武田勝頼公の菩提寺である景徳院に出る。

天正10年(1582年)武田勝頼公、北条夫人他50数名がこの地で最後を迎え武田家が滅亡した。その後、家康が入国し勝頼公らの菩提を弔うために田野寺(現在の景徳院)を建立した。弘化2年(1845年)、明治27年(1894年)の大火によって焼失、現在の山門のみが唯一焼け残った。山門の両脇に鎮座する木造の仁王像は迫力がある。

境内には自ら命を絶つための場所「生害石」、勝頼公、北条夫人、信勝公の「生害石」が残されている。

北条夫人の辞世「黒髪の乱れたる世ぞ果てしなき 思いに消ゆる露の玉の緒」14歳で勝頼の元へ嫁ぎ、19歳の生涯であった。

勝頼公のj重臣で依田家を名乗るものがいた。後に武田家の再興を期して、伊豆半島奥へ奥へと逃れ、松崎の近く那珂川沿いの大沢地区・長九郎山麓へ居を置いた。時代は変わり、豪族や絹織物や炭焼きの豪商をやり時代を生き延びた。昔からの言い伝えで、中秋の名月に一族郎党を集め、武田家の再興を祈念して、杉の桶にご飯を盛り、ご飯の上に野菜や魚を乗せたご馳走を振舞ったという。今で言う「散らし寿司」である。その豪商を引き継いだ依田家は昭和36年に庄屋時代の遺構を生かして旅館業に転じた。今の大沢温泉ホテルである。来週、武田家との詳しい話を聞きにいこうと思う。

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