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旧街道歩き閑話 5. 現代人と江戸時代の旅の感動・感性の違い [旧街道を歩く]

旧街道歩き閑話 5. 現代人と江戸時代の旅の感動・感性の違い
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金森 達 画

2005年1月から2011年3月7日まで、松尾芭蕉の「奥の細道」を歩き繋いで踏破した。月に一度、前回歩いた地点まで戻り、そこから歩き繋ぐ・・。それを52回続けて5年2ヶ月かかったことになる。時には夜行高速バスで、東北新幹線で何度も移動することになった。前回歩いた道筋をめざし、車に新幹線に揺られながら、思いにふける。当時の松尾芭蕉や旅人たちは、どのような思いで歩いていたのだろう。

元禄二年(1689年)5月16日、46才の芭蕉は江戸の大火で失った庵を人に譲り、旅の途中山河に朽ちるかもと死をも覚悟して「奥の細道(143日間)」へ旅立った。芭蕉は疝気や痔疾の持病を抱えていた。この年は、平安時代末期に武士の身分を捨て出家し、生涯を旅に捧げた西行法師(1118年~1190年)の五百年忌に当たる。芭蕉は西行に深く傾倒し、西行の足取りを追って西行の歌枕を追体験することも旅の目的にしていた。東海道や中山道とは異なり、道中の整備は比較にならないほど困難を極めていた。道中を行きかう人々は少なく、宿場の条件が悪い、道路は雨が降ると泥沼、川には今のような橋がなかった、新潟の日本海側の砂地や沼地に足が取られる、地方の方言で言葉が通じにくい、生水が飲めずに人家に頼んで湯を乞うているなど・・・。それでも1日平均7.5里(約30km)を歩いたという。それだけ過酷な旅で辿り行いた一つ一つの目的地での感動はいかばかりであったか。いつでも新幹線で行くことができる、いつでも携帯で遠方の人と会話ができる現代人とは、あまりにも環境が違いすぎる。遊行柳や平泉で見たり体現したそのときの感動の度合いや深さは、当然相当の差があるだろうし、作品にも影響を与えているはずである。
世界探検記を読むと、ある探検隊員は、エジプトのピラミッドを求めてナイル川を遡って船から遠方にうっすらとピラミッドを発見した時に、彼は船から川へ飛び降りて、「やった~!あれがピラミッドだ!」と小躍りしたという記述を思い出した。極限の環境を強いられて目的を達成、いや達成ができなくともそれらの過酷な体験をもとに作られた記録や文学作品には、そうした感情の発露を見ることができる。平易に情報が得られたり、交通移動が容易である現代社会に生きるわれわれに、過去の探検家や文学者と同様の感動や感性を求めるのは無理というものだと思う。

旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
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amaguri

興味深く読ませて頂きました。私もベ-ト-ベンが散歩したというウイ-ンの郊外ハイリゲンシュタットを一人で散歩してみました。耳も聴こえなくなり自殺を考えた彼は弟に遺書を残してこの地で死のうと決心していたようです。しかし再びあの交響曲第6番田園を作曲し後世に残してくれました。その元となった小川の流れをみて感慨深く今だったらベ-ト-ベンの 耳を治せたお医者様は沢山おられただろうに・・・などと思ってしまいました
by amaguri (2012-08-11 08:56) 

yakko

お早うございます。
奥の細道を3年2ヶ月かけて歩き繋いで踏破されたとのこと、素晴らしいですね〜 四国遍路旅と同じ価値がありますね。
by yakko (2012-08-21 08:28) 

Silvermac

私の子どもの頃、四国八十八個所めぐりのお遍路さんも行き倒れになる人がいました。芭蕉は確か弟子を連れて廻ったのでしたね。それでも死を覚悟の旅だったのですね。
3年2か月の旅、尊敬します。
by Silvermac (2012-08-21 08:50) 

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