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旧街道歩き閑話 2. 五街道の起点は、なぜ日本橋なのか? [旧街道を歩く]

旧街道歩き閑話 2.  五街道の起点は、なぜ日本橋なのか?
参勤交代 大名行列.jpg
絵 金森 達

 東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五街道の基点がなぜ日本橋か?今回のテーマにはさらにかずかずの枝葉のテーマがある。これほど重要な基点がなぜ首都高速道によって上空を覆われ、日本橋の景観が無視されたのか?号令をかけた無粋な官僚や政治家は誰か?今議論されている日本橋再生プロジェクトで日本橋は将来どうなる、成功するのか?

 徳川家康は豊臣秀吉に関東への領地替えを命じられ、江戸の地を中心地に選んだ。関東平野の中心地で交通の要所であったこと。太田道灌の江戸城以来の城下町としての起訴があったこと。隅田川河口に位置し江戸湊の水運、河川交通に優れた地であることといわれる。(玉井哲雄著「都市の計画と建設」岩波講座 日本通史第11巻近世1)1590年に入府以来、全国の大名を動員して、江戸湊という流通拠点を江戸城下に組み込む埋め立て事業を敢行する。この結果、1603年に架橋された日本橋と日本橋界隈にめぐらされた水路の発展とあいまって日本橋川と呼ばれる2kmあまりの両河岸に広がった町並みが後に江戸発展の起点となった。日本橋名の由来について、「御府内備考」に「この橋、江戸の中央にして、諸国の行程もここより定められるゆえ、日本橋の名ありといふ」との記述がある。慶長9年(1604年)五街道の制ができた時、日本橋を起点としてすべての道路を発展させようとした幕府の理念が日本橋の名になったようだ。

 当時、日本橋界隈には、金貨を鋳造する金座(その跡地が日本銀行)が設置され、商業、金融、文化の中心地として発展した。天保5年(1834年)版の歌川広重「東海道五十三次・朝之景」(宝永堂)には、七つ立ち(午前4時)の活況を呈する日常の様子が描かれている。最初の日本橋は万治元年(1658年)に火災で消失、翌年架設後に日本橋名物の擬宝珠(ぎぼし)が施された。その後幾度も火災により現在の橋になるまで19回かけ直された。万治元年に飾られた擬宝珠が日本橋の南橋詰西側そばにある元禄2年(1689年)創業の漆器店「黒江屋」のショーウィンドウに飾られている。

 江戸時代の史跡が現存するのが擬宝珠ひとつとは、嘆かわしいかぎりだ。何度も架け直されたとしても木橋や界隈の町並みが残っていたら、日本有数の歴史的観光資源(当然、世界遺産登録になっているはず)として日本の経済効果が発揮されたはずだ。平成12年(2000年)に旧東海道五十三次・赤坂宿を歩いたときの旅籠屋大橋屋の第19代目主人の話が忘れられない。大橋屋は慶安2年(1649年)創業で、宝永6年(1709年)再建後の建築物を一部そのまま使って営業している。東京オリンピック開業(1964年)に合わせて、首都高速道、名神高速道、新幹線(昭和39年・1963年開通)が急ピッチで造られた。それに合わせて東名高速道の工事が、この赤坂宿でも行われた。「昭和39年以前昔の宿場の景観が残っていた。周りの仲間たちがみな土地買収に応じてしまった。当時はこうした景観が将来貴重な資源になるとは想像できなかった」との発言は印象的だった。

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コメント 2

jun-ar

niceありがとうございます
by jun-ar (2012-05-03 07:57) 

oko

ご訪問、ナイスをありがとうございます♪
by oko (2012-05-03 09:33) 

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