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「小さな日本列島への心配」 [海外のはなし]

「小さな日本列島への心配」
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金森 達 画

 私の次女はオーストラリア人の夫アダムと二人の娘と暮らしている。2011年3月11日の福島原発事故で放射能が他県に流れたとき、アダムは「両親を呼ばなくていいのか?」原発のないオーストラリアでは原発に敏感だ。今年、母子が秋休みで6月15日から3週間日本へ里帰りすることになった。最近の北朝鮮のミサイル報道で、アダムは「こんな時に日本に行って大丈夫なのか?」としきりに心配していた。

 一方、アダムの親友ピーターは、ベトナム戦争難民でオーストラリアに移住し、日本人の妻と暮らしている。アダムはピーターから「韓国のソウルで目の病気の手術をする付き添いに一緒に来てほしい」と頼まれていていた。北朝鮮のミサイル問題で「ソウルはもっと危ない」と結論を伸ばしていたが、結局ピーターは手術を延期した。私の義姉の七回忌に函館へ行く用事で、アダムは料金の安いゴールドコースト発クアラルンプール経由で千歳へと家族と合流することになった。外国に住む人たちは家族第一で、危険な環境にとても敏感だということを感じた。
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金森 達 画

 それにしても国際結婚は今や珍しくない。自治会の私の組で、17軒の内3軒の身内が国際結婚をしていた。オーストラリア人との結婚が2軒、チリ人との結婚が1軒だ。チリ人との結婚をした彼は、スペイン語が堪能で慶応大学の学生の頃にチリ人の女性と知り合い結婚し、親元で同居していたが、3011年3月の福島原発事故後の危険を感じて、夫婦でチリへ帰国してしまった。
 いまや、地球上は簡単に移動できる時代で、危険を承知でそのまま居座る選択肢はだんだん狭められてきた。これまでは、海に囲まれた島国で、農耕民族だった日本人は、長いのもにまかれなければ生きにくいと、何事も我慢して生まれ育った地域に住み続けたが、変わりつつあるのだろう。

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危機一髪エッセイ―新婚旅行の初日に乳房の手術後の抜糸をして旧ソ連へ。 [海外のはなし]

危機一髪エッセイ――
 新婚旅行の初日に乳房の手術後の抜糸をして旧ソ連へ。
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金森 達 画

 私たちの新婚旅行は1976年7月27日から8月7日、旧ソ連・ポーランドへ行った。新潟のホテルに宿泊し、新潟港からマホトカへ。さらにシベリア鉄道でハバロフスクへ。ここからモスクワ、レニングラード(現サンクトペテルブルグ・1991年までの呼称)ポーランドのワルシャワまで行くという当時としては、かなりマニアックな旅程だった。ワンダフルツアー主催で、15人の参加者と尾張広一添乗員で旅立った。

 今回のエッセイは、新婚旅行の紹介ではなく、出発前までの危機的な事件のことをお知らせしようと思う。危機と言っても命にかかわるほどではなかったが・・・。
当時、私は都内の職域生協に身を置き、ルート営業をしていた。新婚旅行の2週間ほど前だったが、左胸、乳房の下あたりを触ったり、シャツが触れると痛みが走り、気になっていた。あるとき仕事で運転中に外科病院に駆け込み、診察をしていただいた。すると先生は、「乳房のしこりがあり、脂肪分で、今簡単に手術で切り取り、すぐに帰ることができます」というので、簡単な気持ちで手術をしていただいた。手術後、切り取った1センチ四方の白い脂肪分を見せてくれた。

 たまたま、夜の池袋でお酒の入る取引先との打ち合わせに上司に帯同することになっていた。はしごで飲酒した後に上司と分かれて稲城市の自宅へ向かう途中から、左胸に痛みと腫れあがってくるのを感じていた。深夜に自宅についたら、乳房は女性のような大きさになって、痛みはさらに強くなるばかり・・・。強烈な痛みにも我慢するしかなかった。翌日、妻の車に乗せられて、稲城市立総合病院に駆け込んだ。医者は「よく我慢していましたね。乳房の手術の内出血で、再手術が必要です」といって再手術・再縫合をしていただいた。「2週間後に抜糸をしに来なさい」と言われた。今では、呼吸糸と呼ばれる体内に吸収されて溶けてしまう糸が使用されているが、当時はナイロン糸を使用していたので、抜糸をしなければならなかった。
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自筆画 旅行中にスケッチ

 私たちの結婚式は、2月29日に済んでいた。私の誕生日は3月1日で同じ日に式を挙げようと思ったが、当年はうるう年で2月29日が休日だった。両親には「4年に一度の記念日なんて縁起が悪いから日を変えたほうが良い」と言われたが予定通り実行した。5か月前から新婚旅行の行先や日程を決めていたので、事前にロシア語の学習やロシア映画、ロシア・ソビエト国宝絵画展などを観たりして楽しみにしていたので、何とか予定通り無事抜糸を終えてから出発したいと思い、新潟中央病院で抜糸をするコンタクトを取ったのだ。抜糸の後、旅行に影響がないのかと多少心配もしたが、これから行くソ連やポーランドへの好奇心が勝って、旅行中は全く気にならなかった。当時は、ソ連のシベリア鉄道乗車中に外に向けての撮影は軍事機密を守るために禁止されていたほどの閉鎖性に満ちて、なおのこと見てみたいという欲求を駆り立てた。
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自筆スケッチ

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「高級ホテルに泊まる上海・蘇州・無錫ミニターツアー4日間」  [海外のはなし]

阪急交通社主催
「インターコンチネンタルホテルとハイアットリージェンシーに泊まる 上海・蘇州・無錫ミニターツアー4日間」   2016年12月14~17日
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上海新天地2階カフェからの眺め

 旅行費用は2名1部屋で一人39,900円。往復の航空便は、中国国際航空(CA)
1日目は、14時55分発の930便で、上海(浦東)着は17時20分。空港構内でラーメンを食べて、一路無錫へ。無錫蘇寧凱悦酒店(ハイアットリージンシーホテル)着は22時。
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機内は日本語を話すスタッフがいない。今回の旅は、旧友が退職するので、ようやく一緒に海外旅行ができることになった。今回の参加者は夫婦者が多い14人。到着口で待つ添乗員は、中年男の邱(きゅう)さん。日本語は余り上手じゃない。往々にして少人数はガイドの質が悪い。中型バスで宿まで移動する。空港から上海市街地まで(約30㎞)の個人客のアクセスは、リニアカーとモノレール、バス、タクシーだ。リニアカーは約7分。モノレールは35~45分。
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 ホテルロビーは43階フロア。ホテルの部屋は、65階フロアでとても広く、バスタブ浴室、シャワー室、トイレ室が分かれている。テレビは日本語放送が聞くことができた。

 翌日、6時頃からホテル近所の散歩に出かけた。小公園「白水池」、華中花園の隣で奥行きが広い。集団で太極拳をしていた。小公園に隣接して、大きな漢方薬店があり、従業員が出勤中だった。朝食は64階のレストランでヴュッフェ。さすがに一流ホテルで品ぞろえは言うことなし。朝もやの中、7時頃から陽が出てきた。
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 この日の予定は、無錫市内の観光。太湖の北端にある「げんとうしょ公園」へ。げんとうしょとは、すっぽんの事。遊覧船内で無錫民族ショーの鑑賞で胡弓や琵琶の演奏、京劇風踊りを見た。10時35分発の遊覧船に乗る。琵琶湖の3倍の広さを持つ太湖には鮒・鯉・シジミ・白魚などの魚が生息している。中国では太湖の広さは3番目。
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 昼食はスペアリブ、白魚卵とじ、豆腐スープなどの8品ほどの無錫料理。午後は、古い街並みの残る恵山古鎮で散策時間。酒屋で試飲をして、安い紹興酒ボトル25元(500円)のを購入。
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 南禅寺ではガイドの邱さんから「南禅寺の登楼は10元でできるから」と言われていたが、登り口がすべてふさがれていて、登楼できなかった。
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 700年の歴史を持つ清明橋を見学。観光客が多いせいかカフェ店が多い。古書店を覗くと、竹久夢二の復刻版を見つけた。
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 最後に淡水真珠店の見学とショッピング。その後、上海まで1時間半、約180㎞バス移動。中心地で四川料理の麻婆豆腐などを食べた後、上海国家会展中心洲酒店(インターコンチネンタルホテル)へ。このホテルは、国際会議場隣接のホテルで今年6月にオープンしたばかりの上海郊外の便の悪いところ。地下鉄2号線の終点駅から徒歩5分。ガイドの邱さんもあまり知らなかった。
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 オプションの外灘夜景観賞と観光トンネル体験、上海ヒルズ(94階)からの眺望(260元)は希望者が少なく、だれも参加しなかった。私は地下鉄に挑戦し、婁山関路駅近くの虹橋三希会所マッサージへ出かける。地下鉄駅構内で切符の自動販売機で購入しようとしたが、100元札しかなく、通行人の二人連れに声をかけ、崩してもらった。行先の場所をタッチして簡単に切符は購入できた。
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 虹橋三希会所マッサージ日本人客が多く、テクニシャンの顔写真が張られ、指名料10元で指名できる。アロママッサージで80分、268元だった。帰りの地下鉄で終点「径涇東」のはずと乗っていると二つ手前で全員が下りた。私だけが取り残されて、動き出し、真っ暗闇の中で停止。慌てて、運転手は居るだろうと目の車両に歩いていくと向こうから来た乗務員が、戻るからそこで乗り換えて、というようなそぶりだった。まだ出来立ての路線で、乗り換えをしなければならなかったらしい。

 3日目は、午前中は蘇州観光で、午後は上海観光後、夕食という予定。
耦(ぐう)園は、世界文化遺産の一つ。外城河に面していて、役人の家だったが、縫製工場をえて、改修され今に至った。
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 虎丘は春秋時代の呉王の墓陵で、葬儀の三日後に白虎がでてきて墓の上にうずくまるという伝説から。高さ47mの斜塔が有名だが、今回は遠望するだけ。
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 その後、蘇州刺繍研究所へ。蘇州の技術者を養成し、国内外に展示する目的で作られた。精緻な伝統作業が見学購入できる。片面、両面刺繍職人がいて表と裏で絵柄が異なる高価な作品も見ることができた。
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 ランチは蘇州料理。店ではお客が着いてから、椅子やお皿を用意したり、エアコンを入れたりしていた。日本なら、ありえないサービスぶり。
12時過ぎに上海へ向かう。租界時代に建てられた建築群が残る外灘(がいたん)と新天地観光。
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外灘
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新天地

 夕食は今回のメインである上海ガニだ。ガイドはしきりに上海ガニ(淡水に生息するシナモクズガニ)は小さいのが特徴だと、お客の食後の批判をかわす伏線を張っていた。確かに実は小さいが甲羅のカニミソは美味。
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 上海市街地から郊外のテルまで戻るのに。1時間余かかるので、私はここで「離団書」を書いて、ここで離団することに。ここから豫園方向へ歩くが、ちょっと遠いのでタクシーを止めるが、短い距離と外国人で面倒くさいのか、結局手を振って断られてしまう。そこへ白バイクのお兄さんが声をかけてくる。豫園まで20元というので、「タクシーでも10元だから、10元なら」といって立ち去ろうとするとようやくそれでいいという。初めてのバイクで運転手の後ろに乗り、しがみついての疾走だった。夜の豫園と外灘をゆっくりと歩き、地下鉄でホテルへ戻った。
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夜の豫園
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夜の外灘

最終日は、昼の豫園観光とシルク工場、ラテックス工場見学のお買い物時間で終わった。
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マンションの洗濯干し
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昼の豫園

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温泉夜話 海外温泉巡浴のパターンのいろいろ・・・。新鮮でドキドキの体験を! [海外のはなし]

温泉夜話 海外温泉巡浴のパターンのいろいろ・・・。新鮮でドキドキの体験を!
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海外の温泉に入浴するために知恵を絞ります。最初はパッケージツアーを選ぶ時に、宿泊場所が温泉のあるホテルがあれば一番楽に入浴できます。カナダ、ハワイ島、台湾、韓国で体験しました。2001年1月に行った韓国ツアーで温陽温泉、儒城温泉に宿泊しました。かつて韓国の温泉ホテルは、夜8時には浴場や売店を閉めていましたが、日本の旅行業者の指導で、男女別浴室を完備し、営業時間を延長して日本人観光客誘致に成功したツアーの代表格です。ツアーの自由行動を利用する手もありました。2008年12月に中国、西安・華清池に行った時、華清池の観光後、わずか30分の自由時間で入浴挑戦しました。最高級浴室が一回880元(13,200円)、次が580元、一般浴槽がひとり128元、30元(450円)。一番安い30元の浴槽で入浴してきました。
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次いで、宿泊する予定の場所の近くに温泉地があり、路線バスやタクシーで行けるところ。これは相当範囲が広がります。2006年8月の中欧(ハンガリー・オーストリア・チェコ)旅行、ハンガリーのブタペストの宿泊時が該当します。2日目のツアーの出発前にタクシー移動で、6時開場のドナウ川畔に建つ1914~1918年築アールヌーボー様式ゲッレールト温泉へ。3日目の午後の自由行動では、ヨーロッパ最大規模のバロック宮殿建築のセーチェニ温泉へ。大温泉プールなど3つの大プールの他に水着着用の8か所の混浴浴槽、4か所の男女別裸浴槽があります。4日目は5時30分にタクシーでトルコ式温泉ルダッシュ温泉にふんどしを身に着けて入浴しました。
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パッケージツアーで出かけて、温泉地が近い宿泊地前後で1~2日離団して温泉巡りをする方法があります。2015年2月にトルコ11日間ツアーに参加しました。ツアー中の温泉のある宿泊ホテルで入浴しましたが、タクシーで5分の所にある市営温泉「クリムズ・ス」に取材入浴してきました。石灰棚で有名なカムッパレ観光で、ギリシア時代の大理石がごろごろ倒れている遺跡露天風呂に自由時間内に入浴してきました。8時30分と時間が早かったせいか、入浴者は私一人貸切状態という感動的な時間でした。7日目に離団し、長距離バスに乗り、バスごとマルマラ湾を渡り、ブルサへ。1552年に建てられたイエニ・カプルジャ(新温泉)、14世紀に建てられたエスキ・カプルジャ(旧温泉)に入浴を果たしてきました。マレーシア、台湾でも経験しました。

温泉巡り目的の個人旅行で出かける方法もあります。台湾や韓国は何度も経験しました。2004年にタイ・チェンマイの温泉に行きました。事前にメールで車付きガイドをしていただける人を求めました。幸い、チェンマイで在住の日本人対象に地元紙を発行している日本人男性が応じてくれました。地元紙でたまたまチェンマイ近郊の温泉情報を取材していた方で、2日間で7か所の温泉取材と入浴ができました。1996年12月にロンドン・パリのスケルトンツアーに参加したこともあります。往復のエアーとホテルのみで8万円でした。ロンドン郊外のバースの温泉博物館に行き、あわよくば監視人の目を盗んで入浴しようとズボンの下に水着を着ていきましたが、飲泉のみ実現しました。パリ郊外のヴィシーへも列車移動で行きました。2012年4月に韓国・釜山郊外温泉巡りでは、空港から釜山への移動で、たまたま白タク運転手と出会い交渉し、1日2日貸切タクシー3万円で取材に行きました。東萊(トンネ)、釜谷(ブコク)、馬金山(マグサオン)、霊山(レサン)温泉入浴を果たしました。2011年9月には旧満州(東北部)の湯崗山、熊岳城温泉等に入浴し、湯崗山温泉では、ラストエンペラー溥儀が入浴したという龍宮温泉の浴槽「龍池」に入浴することもできました。

私の次女がオーストラリアのゴールドコーストに住んでいて、孫に毎年会いに行きます。その際、温泉巡りにゴールドコーストから、年によりメルボルンやニュージーランド、フィジーへ移動して温泉巡りの取材・入浴もしてきました。あらゆる海外旅行の機会を利用して、温泉巡りをしてきました。英語もろくに話せないのに、「温泉」にこだわり、現地の人々との交流もし、新鮮でドキドキの体験を数多くしてきました。是非皆さんもご自分の趣味に応じた「こだわり」を持って海外旅行を楽しんでいただきたいと思います。
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メルボルン・ペニンシュラ温泉

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魅惑のスリランカの旅 思い残すこと・・・温泉に出会えなかったこと。 [海外のはなし]

魅惑のスリランカの旅 思い残すこと・・・温泉に出会えなかったこと。
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2016年5月29日~6月04日まで、スリランカへ観光に出かけた。紀元前以来の仏教遺跡の数々に出会い、予想以上の感動を得ることができた。5世紀後半、岩山の頂上に華麗な王宮を建てて住んでいた(王宮としてはわずか11年間)シギリヤロックに登山できた。かつてはライオンの姿でかたどられていたという。1400年の眠りからさめた壁画のシギリヤレディは圧巻だった。イギリス統治下にあった1875年、この岩山を望遠鏡で見つめていたイギリス人探検家が天女の壁画を発見した。
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ダンブッラの石窟寺院は紀元前1世紀以来の建造物で、第1窟にある約14mの涅槃仏は特筆もの。全身は黄金色に染められているのに、足の裏は真っ赤に染められている。これはスリランカの特徴で、紀元前5世紀にウイジャヤ王がインドからスリランカに彼の手のひらが真っ赤であったことからだという。ブッダがスリランカに5回訪れたという伝説と共に仏陀の影響がそこかしこに色濃く残されていることを実感した。

ところで、私の海外旅行は必ず温泉場を探し、入浴することを目標にしていたが、今回はその取り決めを初めて破ってしまった。中国の黄山のように、温泉があったはずだが、たまたま温泉場が改修中で入浴できなかったことはある。今回、事前に温泉場があることは調べてわかっていた。参考:Hot Springs of Sri Lan Ka/Amaging Lanka.comから情報を得た。インド系のシンハラ語から英語訳らしく、情報が錯綜していて、私なりに他の情報を参考にして紹介する。9つのうち6か所に絞った。

○ゴマランカダワラ温泉Rankihiriya/Ulpotha/Gomarankadawala Hot Spring
トリンコマリーから数キロの所にある温泉。42度の二つの井戸があり、それらはRankihiriya温泉、Ulpotha温泉とも呼ばれている。乾燥地にあり、Ulpotha仏教遺跡に近い。
○カンニャ温泉Kanniya Hot Water Wells at Trincomalee――スリランカ北東部の海岸、トリンコマリーの北西にある仏教遺跡Velgam Vehera修道院の僧侶によって使用される複数の池の一部。ベルガム・ラジャ・マハー・ビハーラの近く。五千年の歴ありとの伝説。ラヴァナ王の時代から利用か? 入浴不可・湯あみのみ。7ヶ所の源泉が並び、熱くても40度。外傷・消化器系に効能。席巻使用禁止だが、地元民は石鹸を使用している。地元民は5ルピー、外国人は50ルピー。露出度が高いためか、女性用水着はダメ。更衣室があり、自分で袋を持参し着替えを入れ、サロンを巻いて水浴び。無味無臭。
○Nelum Wewa Hot springs  ポロンナルワ ジャンクションから27㎞のところにある2009年に公開された新しい温泉。Dimbulagala山脈の麓にある。源泉は61度、スリランカで一番熱い温泉。10月の雨季には貯水池wewaの中に水没する。7つの温泉の内、3つが閉鎖され、4つの井戸はNelum Wewaの砂丘上に2つずつ位置している。この温泉は、乾季には砂丘を徒歩で行くことができるが、貯水池の水位が高いときは地元の漁師の助けがいる。
○Mahaoya Hot Springs マパオヤ温泉
 Mahaoya温泉は、Mahaoyaから約2㎞のところにある温度の異なる7つに井戸がある。もっとも熱い井戸は約56度で、二つの井戸のみ入浴が可能な温度。地元の自治体によって管理され、訪問者にはRs50(ルピー)が駐車料として徴収される。
○Wahawa Hot Springs
 Wahawa温泉は、スリランカ東部州アマパラ地区Padiyatawaの田舎町にある。水田と18の温泉が散在し、そのうちいくつかが掘り抜き井戸を流れ、村人の洗濯やお風呂に利用されている。
○Madunagalaマドゥナガラ温泉――又はMahaperessaスマハペレッサ温泉。
リランカ南部ハンバントータHambantotaniに位置する。周辺に象が生息し、農作物や人間の営みに害を与えていた。過去には、度々乾季の間象の赤ちゃんが温泉の水浴びに来ていた。1980年代にエンビリピティヤ(現在Walawe流域を監督)には温泉の周囲に壁を造り、被害を食い止めた。湯はかなり熱く、源泉でお米を炊くと源泉が防腐剤のような効果がありお米が腐りにくい。レナード・ウルフが行った温泉の化学的分析では、10,000当たり、固体:534、塩素:248、石灰:95、硝酸塩:0、硫酸塩:小と公表されている。
Mahaperessa温泉周辺には、2つの古代岩窟洞庵がある。仏教徒と僧侶たちは、リウマチや皮膚炎から生じる痛みをこの温泉を利用していた。今では、休日には来場者で混雑し、長い時間待たされている。
温度差がある浴槽は大きく施設がとともっている。地元民は30ルピー、外国人は100ルピー。かぶり湯のみ。
これらの紹介された温泉の他に「スリランカ最北端のジャフナ半島の海沿いに治癒力を持つ不思議な泉」として、ケリマライの泉がある。古くから病気を治す不思議な泉として知られている。近くのマヴィダプラム・カンダスミワ寺院Maviddapuram Kanthaswamy Kovilに残る伝説・・・7世紀、伝統的な儀式を軽んじた姫が、馬のような顔になってしまった。ケリマライの泉で湯を浴びると、元の顔に戻った。感謝した姫はこの地に神を祀るヒンドゥ寺院を建てた。水源は寺院の周辺で、流れる過程でミネラルを得て、治癒力を持つといわれている。

☆北国街道を歩く 軽井沢追分宿からの挑戦!http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2016-08-12
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魅惑のスリランカ7日間 旅行記  その4. (5.6日目)  2016.6.02・03 [海外のはなし]

魅惑のスリランカ7日間 旅行記  その4. (5.6日目)  2016.6.02・03
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象の孤児院、水浴び

朝食前にホテル周辺を散策し、従業員と話す機会も。
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8時にホテルを出発し、約80㎞先のヌワラエリヤへ。ガイドのニハルさんは途中の宿泊先で乗車。朝食を食べていないとかで、カフェでドライバーと朝食を摂るという、大きな団体では考えられない行動をとる。追い抜きの連続運転で、10時10分に標高600mの茶畑に到着。ヌアラ・エリヤを中心とする丘陵地帯はセイロンティーの本場で、ブルー・フイールド・ティー・ガーデンズへ。山の傾斜一面の茶畑は緑一色で美しい。ここで茶摘みを体験、工場見学をする。茶摘みの労働者は、1日20㎏の茶摘みをして、1500ルピー(日本円で1300円ほど)の報酬とか。日本人は珍しいのかハンサムな男に憧れるのか我々を見ると手招きをして、反応がないとこちらに寄って来て、茶摘みの見本を見せてくれる。工場見学は日本の製茶工場とよく似ている。売店の入り口のカフェで試飲の紅茶をご馳走になる。
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紅茶園

一時間後に同じ道を戻り、途中「ノレン」の街で30分の自由散策。昔英国人の占領時代の高級住宅が残っている。郵便局で「ペラヘラ祭」の切手があるかを訪ねたが、無いという返事。さらに高原を下り、13時前に滝を眺望する傾斜に建つホテル・レストラン(Ramboda Falls PLC)でパスタのランチをとる。周りの緑に配慮する緑色一色のホテルだった。
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私はキャンディ市街で降ろしてもらい、工芸技術の伝承と展示即売している「キャンディ芸術協会」に行くことに。キャンディ湖に面する仏歯寺の奥の昨日ダンスを見学した建物の一角だった。ここで油絵と木彫りの絡繰り箱を購入した。キャンディ岩山の天女を描いた油絵が欲しかったが、28,000ルピーで諦めた。
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キャンディ芸術協会

キャンディ湖周辺を散策し、雨が降りそうなので、三輪バイクの「トゥクトゥク」に乗る。ホテルまで500ルピーを400ルピーに値切って乗ったが、ホテルへの急坂に息切れの運転だった。
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キャンディ湖
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ホテルで見かけたブライダル衣装の人たち

翌日は、いよいよ最後の観光。約40㎞先、9時25分に象の孤児院のあるピンナワラへ。ガイドのニハルさんは、話の切り出しに「あのね」から始まる。途中通勤途中なのか渋滞でずいぶん遅れた。10時15分から始まる小像のミルク授乳の場面が終わるころにようやく到着。母親とはぐれたり、死別した小象を保護する施設で、約96頭が保護されている。日本の多摩動物園と徳山動物園とは協力関係にあるという。餌をやりや川で水浴びをする場面を見学することができた。1頭に250㎏の餌が必要でその餌代が大変そうだ。
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象の糞を加工してメモ用紙や箱などを製造する行程を見学し、売店で購入した。
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コロンボに向かう途中、11時30分、レストランでヴュッフェランチ。半露天レストランの道路側に面した木の上の家で70歳を超える老人が笛を吹いていた。このレストランのBGMだそうで、地元では有名な音楽家だそうだ。
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1時間後にレストランを出る。道路に面したカシューナッツ露店で250グラム700ルピーのカシューナッツを購入。後で百貨店へ行って値段を比較した人は、露天の方が安かったといっていた。コロンボ市内の百貨店は二階建ての店で、日本の店と展示方法も値段もほとんど変わらないが、狭い印象だった。
最後の見学は、ガンガラーマ寺院。コロンボでも有数の大きな寺院。ここでも靴を脱いでガイドについて回る。3つのエリアに分かれているようだが、金色の仏像の数々・・・。最後に金色の冠のようなものを頭に載せて、御祓い?をして腕にお守りの数珠を巻いてくれた。
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バンダーラナーヤカ国際空港へ移動し、UL454便19時15分発に乗る。3回手荷物検査があり、最後の時に土産に購入し、包装紙で巻いた「象の油絵」を取り忘れていた。機内での日本語アナウンスで「御忘れ物が届けられております・・・」に気が付き、手元に戻った。

☆温泉夜話 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
☆高野山麓の天然水「月のしずく」http://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/
☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
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魅惑のスリランカ7日間 旅行記  その3. (4日目)  2016.6.01 [海外のはなし]

魅惑のスリランカ7日間 旅行記  その3. (4日目)  2016.6.01
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タンブラ洞窟寺 第1窟 涅槃仏

6月1日(水)第4日目 ホテルを8時に出発。右手前方に大きな岩山、タンブラ洞窟寺院が見える。道の左側により、30年前に建てられた「ゴールデンテンプル」へ立ち寄り、ここでタンブラ洞窟寺院入場券を購入。岩山の中腹へ車を進め、駐車場からしばらく登る。受付で25ルピーを支払い、靴を脱ぎ裸足になる。
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ゴールデンテンプル
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タンブラ洞窟寺院に向かって左側にはフーメリアの並木が。洞窟は5つに別れて山門の側から、順に並ぶ。
第1窟:デーワ・ラージャ・ヴィハーラ(神々の王の寺)寺院最大の仏像、約14mの金色に染められた涅槃仏が横たわる。足の裏は赤く染められている。他に5体の仏像、壁画がある。紀元前2~18世紀のもので、元々人が住んでいたが、紀元前3世紀に僧に貸したという内容の記述が岩壁に刻まれている。
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第2窟:マハー・ラージャ・ヴィハーラ(偉大な王の寺)ワッタガミーニ・アバヤ王のこと。幅52m、奥行25m、高さ6mとタンブッラ最大の洞窟。56体の仏像と天井の壁画で埋め尽くす。紀元前1~3世紀のもので、3世紀以来塗り直していない。「大史」の壁画には、セイロン開国の祖ヴィッジャ王の来島、テーヴァーナンピヤ・ティッサ王によるインドからの聖なる菩提樹の将来の場面が描かれている。タンブッラとは「聖なる水」の意で、この窟の低い天井から高い天井に水が流れ、滴り落ちる水を受ける壺が溢れないという不思議な現象かららしい。
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第2窟 水の滴が亀に滴るが、溢れない・・・
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第3窟:マハー・アルト・ヴィハーラ(偉大な新しい寺)18世紀後半の王、キリティ・シリー・ラージャーハーによって造られた。黒々とした鬚、両手で合唱をした肖像がある。全長9mの横臥仏や57体の仏像がある。
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第4窟:バッツイーマ・ヴィハーラ(西洋の寺)キャンディ王朝の末期に造られた。第5窟の後に造られた。
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第5窟:デワナ・アルト・ヴィハーラ 1915年に造られた最も新しいもの。
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約一時間滞在し、9時20分に岩山を出る。野良犬が多く、ガイドは菓子を買って犬にあげていた。岩山そのものが信仰の対象となっている。1時間余走り、「スパイスガーデン」へ。薬用植物園で、担当によって園内を回り日本語で説明があった。カカオ、バニラ、カーダモン、ウコン、赤パイナップル、コショウ、クロワセ、サンダルウッドなど。中国の「漢方薬」に相当する分野なのか?
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カカオ(自然乾燥し、40~50種あり)
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赤パイナップル(脱毛効果あり)
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サンダルウッド(白檀、殺菌、利尿、しみ、にきびに効果あり)
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ジャックフルーツ
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椰子の葉に書いて伝えた

 最後に売店に案内された後、レストランに移動してランチ。メニューは、淡水魚で小さいアジ(テッペリ)などを素材としたカレー。
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ランチ
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キャンディ市内の市場を散策
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一旦、トパーズホテルへチェックイン

キャンディへ。キャンディは標高304m、マハウェリ川に囲まれた地。キャンディ朝は、1592~1815年・英国に敗れた日)約200年間栄えた。仏歯寺のライトアップを見るために一旦、ホテルにチェックインし、16時30分に再スタート。仏歯寺近くにある伝統芸能キャンデイアンダンス会場へ向かう。前列から5列目だったが、周りは座高の高い欧米人で見やすいところに移動する。「民俗芸能保存会」による舞踊みたいな相当緩やかなきちんとそ  ろわない舞踊だった。
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仏歯寺近くにある伝統芸能キャンデイアンダンス

ここから歩いて仏歯寺へ行くが、ぽつぽつ雨が降ってきた。入場券売り場でしばらく軒を借りる。20分ほど待って小雨模様の中、裸足になって参拝へ。
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仏歯寺は1697年の建立。掘、八角堂は、キャンディ朝最後の王ラージャシーハによって
造られ椰子の葉の写本が所蔵された図書館になっている。人口湖は、19世紀初めに造ら
れた。上部にある金色の建物は、金泊ではなく金そのもの。仏歯が公開されるのは、1日
3回(5時30分、9時30分、18時30分)のブージャー(仏の礼拝)の時だけで、仏塔
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の形をした宝石がちりばめられた金製の小箱だけしか見られない。
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ペラヘラ祭でご神体の仏歯を象の背中に載せて行列をした選ばれし像のはく製
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ライトアップされた仏歯寺

セイロン信仰の中心は、「仏舎利」と「菩提樹」。2500年前に釈尊が亡くなられて、遺
骨はまず8つに分配された。それを分けたバラモン僧は、1本の釈尊の犬歯を残してしまう。困って、彼は自分のターバンの中にそっとその犬歯を挟み込んだ。それを見ていた天の神が「それは困ったことだ」と天から長い手を伸ばし、バラモン僧のターバンの中からこっそり仏歯を盗みとった。それからかなり後、4世紀の頃どういうことか南インドにあった。それはカリンガという王国の都ダンタプラーに篤く祀られていた。その時の王がグハシーヴァで王にはかわいいヘーママーラという娘が居た。ある日、この娘をセイロンへ嫁に行かせることになり、そこで、これまで大切にしていた仏歯を娘のゆった髪の中に入れて持たせてあげた。当時のセイロン王シリ・メーガヴァンナ(362~409年)はその仏歯を安置するお堂をアヌラーダプラに建てる。そこで仏歯祭りをアハヤギリ・ヴィハーラにて盛大に行われた。それ以来、年に一度仏歯は像の背に載せられてお堂から、アバヤギリ・ヴィハーに移され国を挙げての仏歯祭りが行われている。仏歯が王権を象徴するセイロン最大の宝となり、アヌダーラプラ以降、都が移されるたびに仏歯も一緒に新しい都に持ち込まれる。

トパーズホテルは、キャンディ中心街から少し離れた山の上に位置し、ホテルからの市街眺望が360度見られる場所。直ぐ下にゲストルームや、姉妹店、プール。テニスコートなどがある。ホテルの正面入り口が工事中で、私の部屋は左側の非常口からすぐそばの104号室。夕方遅くに中国人の団体客がチェックイン時に大騒ぎだった。深夜は酔っ払いが部屋のドアをどんどん叩く音で眠れなかった。

参考文献:NHK美の回廊をゆく ①はるかなる源流の旅「聖地スリランカ」
     世界の聖域9 セイロンの仏都 講談社
     スリランカの三宝 聖域行3 那谷敏郎著 平凡社カラー新書

☆温泉夜話 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
☆高野山麓の天然水「月のしずく」http://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/
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☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
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☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
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魅惑のスリランカ7日間 旅行記  その2. (3日目)   2016.5.31 [海外のはなし]

魅惑のスリランカ7日間 旅行記  その2. (3日目)   2016.5.31
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シギリヤロック

5月31日(火)朝食を7時に済ませ、8時にホテルを出発。シギリヤロックへ。約15分でシギリヤの入り口、赤土のロードを直進。5分で入場券売り場へ。8時30分にスピーカーで国歌が流れ、清掃中の職員たちが直立不動。つい我らも見習って・・・。
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シギリヤ博物館

 まずはシギリヤ博物館へ。周辺出土品、12体のシギリヤレディフレスコ画のレプリカなどが展示。城塞シギリヤの岩山の異形はもとより、「シギリヤ・レディー」(壁画)はセイロン美術の魅力を世界に知らしめた。シギリヤは、正しく歯、「シンハギリ」と称し、シンハとはライオン、ギリとは岩を指して全体で「ライオンの岩」を意味する。西暦前から、シギリヤは寺院、あるいは城塞であった。前266年、デーヴァーナンピヤ・テイッサ王は、この山を訪れこの地を「シヒギリ」と名付けた。前41年、マハラウリ王はそこに城塞や寺や座禅堂を建て、さらに前19年にオアテヤ王はそこの養老院を造っている。西暦に入って9年、マハー・ダリヤ王は仏塔を建て、477年に至って、有名なカッサパ王は城塞等を大規模に造営し、その際、岩山の側壁に壁画を描き込まれた。その100年後、サンガ・テイッサ王は、この地を放棄している。それ以降、長い間史実がなく1155年になって、パラークラマバーフ王がこの地を大いに再建し、これが現在、史書に見るシギリヤ最後の史実となっている。
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 かつてのシギリヤの城塞は、水濠によって囲まれ、さらに塁壁によって防御されていた。その囲壁内に黒く巨大に岩山(城塞)が突き出し、その大きさは南北で約400m、高さが約180mあった。長い間密林に眠っていたシギリヤ岩山の発見は、1831年、ある英国人によって世に紹介された。が、この人は当時この山頂へは登れず、1853年に2人の英国人によって登ることができた。しかし、美しい壁画の発見は、1875年の英国人デイビットによる。麓から望遠鏡を覗いて、西面の美人画を発見。その2年後の1877年、当時のセイロン提督の命によって、英国人ムレーが初めて、12体の美女たちの姿を模写した。
 
 9時10分に城壁内の沐浴場へ。5世紀に造られた風を動力に水を汲み上げる仕組で雨水→噴水→溜池→沐浴場へ。元々は僧の修験場だった。年寄りを狙って、「ヘルプは?」と商売人が腰に手をあてて付きまとってくる。階段を登り、回廊の外側の壁面・ミラーウォール(鏡壁)へ。漆喰壁に多量な卵の白身とハツミツを石灰に混ぜ合わせたもので上塗り、その表面を丹念に磨きあげられている。7~11世紀にかけてのシギリヤの落書きがあり、この岩山を訪れた王、貴族、僧侶、高官、一般人の685点が確認できるという。その中に「岩山には五百人もの乙女たちの姿が描かれていた」という一文も。
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昭和12年(1937年)杉本哲郎画伯が観察した際は、かなり鮮明に残っていたが、それからわずか40年ほどではげ落ちてしまった像もあった。40年前の紀行文には21体残っているとの記述があった。
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 ライオンの入り口(北側)に着く。黄色と黒の蝶のような模様のトンボが乱舞。かつては足、頭部もあり、大きく口を開けたライオンだったが、今は巨大な前足と爪の一部しか残っていない。急階段を登り、上へと次第に狭くなり皆息も絶え絶えの様子で10時15分に頂上へ。
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シギリヤロック頂上

強風があり、とても涼しい。とても広い敷地1.6haには王宮跡(王宮・兵舎・住居)があり、プールを見下ろす石の玉座もある。下りの途中に大岩を半分に切り取った王と大臣の会議場もあった。下山して車中で、シギリヤ博物館で発行した「登頂証明書発行」をいただいた。
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会議場

 ボランナルワへ移動し、レストランでランチ。午後、世界遺産ボランナルワ観光
聖都ボランナルワは、シギリヤの東に当たり、大きな人口湖の東岸に接して、この都の城塞がある。ランカティラカは、13世紀にパラークラマバーフ一世3世によって建造。高さ17.5m、幅18m。両の壁入り口に守護神像、奥の中央に頭のない巨大な仏立像、手前右の出入り口天井に赤色が残る壁画が見える。北に真っ白のキリ・ヴィハーガ(仏舎利塔)が鎮座。1~5年に一度塗り替える。
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 さらに北へ移動し、ガル・ヴィハーラという瞑想する高さ4.6mの坐仏像・蓮の台座の上で腕を交叉する立像・全長14mの涅槃像が並ぶ。裸足で参観のため砂や石が焼けて熱く、飛び跳ねるようだ。ここに来て「半ズボンはダメだ!」とガイドに言われたが、今頃言われても・・・。出るまで見つからずに済んだ。
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ポロンナウルは、8世紀以降、アヌダーラプルを首都としていた王たちの別荘地だった。都は14世紀以後、密林の中に眠り、19世紀末に考古学者に発見され樹木や木が取り除かれた。
旅程のブティックは、全員がパスすることで、予定より早く15時30分にホテルへ到着で来た。部屋は206号室に変更になり、早々にプールサイドで読書にした。寝転んだ姿勢で真上を見ると、ココナッツの実がたわわに実っている。青年従業員に「実が落下することはないのか?」と聞いたが「ノープロブレム!」本当かな?18時から皆でお酒とつまみを持ち寄って飲もうということになった。
19時からの夕食は、コース料理だった。焼き餃子のような揚げたエラワル・ロティ、ナポリタン、スイーツにコーヒー。
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 本日の拙句「積乱雲シギリヤロックのけぞけり」「岩山の玉座閑けき若葉風」「僧院の閑けき跡や夏の風」「瞑想の仏前砂の裸足焼け」「薄衣の天女壁画や夏の風」

    ダンブッラの宿:ホテルエデンガーデン
HOTEL EDEN GARDEN [電話]066-2286635

参考文献:NHK美の回廊をゆく ①はるかなる源流の旅「聖地スリランカ」
     世界の聖域9 セイロンの仏都 講談社
     スリランカの三宝 聖域行3 那谷敏郎著 平凡社カラー新書

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魅惑のスリランカ7日間 旅行記  その1.  2016年5月29日~30日 [海外のはなし]

魅惑のスリランカ7日間 旅行記  その1.  2016年5月29日~30日
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紀元前3世紀にインド仏陀の成道の地・ボード・ガヤーから菩提樹の小枝が運ばれた

スリ・ランカは、光り輝く国(島)の意で、輝くのは宝石ではなく、仏と法と僧の三宝のこと。インド半島コモリン岬の東南に、ポツンと散在する島がスリランカ。スリランカとなったのは、1972年5月、バンダラナイケ政府の改称による。本来はサンスクリットノシンハラ・ドヴァーパ(獅子族)の国という意味。それが貿易に来たアラブ人によって、サラン・デイープと呼ばれ、ポルトガル人が更に訛ってサイランと呼び、セイロンとなった。島住民の最大多数は、シンハラ人で紀元前6世紀頃にこの島に渡来定住した。島の宗教分布は、仏教70%、ヒンドゥー教10%、イスラム教8.5%、キリスト教11.3%となる。仏教は紀元前3世紀にこの島にインドのアショカ王の時代、この島ではディーヴァーナンピア・テイッサ王の時代に伝来した。
インド北部のブッダ生誕から涅槃までの聖跡巡礼をしたいと思ったが、スペインサンティアゴ巡礼とは格段の困難さが予想されるので、ブッダがスリランカへ三度訪れたという伝説があり、紀元前1世紀以降の仏跡遺構が残るスリランカへ一度様子見に行こうと思い立った。旅物語の主催で参加者は、3名だった。

5月29日(日) 9時20分集合 第二ターミナル 11時20分出発
 スリランカ航空(UL)455便 コロンボへ。座席は横2、4、2列の中4列の通路側で4席を独り占めだった。エメラルドブルーのサリーに身を包んだCAは皆体格が良く、2010年の情報で①身長が5フィートインチ(約159㎝以上)②体重は一定以下 ③英語堪能 ④容姿端麗 ⑤健康状態良好・・・の②が破られている。

 コロンボ着 同日スリランカ時間16時42分。下界は緑一色のまさに緑の島。拙句「万緑の島丸ごとやスリランカ」「
 着後バスで、ネゴンボへ。約15㎞/約30分 ガイド氏は「水路」と「水道」、「洪水」と「香水」の区別が分からないようでガイドの資質に不安がよぎる。
 拙句「濁音でガイド質問ふ若葉風」

    ネゴンボ:ペガサス リーフ ホテル
LTI PEGASUS HOTEL [電話]011-2930205
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部屋から見たプール
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ペガサス リーフ ホテル

 部屋着後、インド洋に面する庭園散策。すぐにガイドヘルプをしているという男に声をかけられる。「1mものトカゲがいるから」とついて来いという。海沿いに歩きホテル隣接の教会前に池に行った。そのトカゲを見ることはできなかった。帰り際にココナッツジュースはいらないか?と聞きココナッツの木に登ろうとする。「これはまたココナッツ獲りとジュース代を要求されるかと思い、お断りいした。
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ホテル海岸側から、コロンボ市街を望む
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「バッタン」という草
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インド洋の夕景

部屋の設備は、浴槽のバスタブはあったが、湯を入れると蓋が浮き出て用を足さない。シ
ャワーを上に架かると水圧が弱いのか湯が出てこない。洗面の水はちょろちょろしか出ない。洋服ダンスの取っ手の枠が落下する。冷蔵庫の台が外れて、右下へ落ちて形向いた。我慢の限度を超えたので、部屋を変えてもらった。

5月30日(月) 朝食 7時     出発 8時
アヌラーダプラへ。約180km/5時間 12時30分にアヌラーダプラ到着後、カレーのランチ。バール(豆)、茄子、インゲン、目に良いというゴトガラ(苦心菜)、ザッパラ(魚)、パリズリパパラのカレー7種の具を白米でこねて食べる。
世界遺産 アヌラーダプラ観光の最初の観光地は、
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途中でパイナップルを露店で
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昼食レストラン
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7種類のカレーがメイン

 ○イスルムニア精舎:8月の干ばつ時に雨乞いをした場所として造られた紀元前3世紀の建物が一部残される。岩肌に造られたダーガバ、極彩色に塗られた仏像のある本堂、貴重な発掘物を展示した宝物館。下の池には水浴びをする象の彫ものは4世紀のもの・・・。洞窟の金箔の仏像は14世紀のもの。
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イスルムニア精舎
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守護神像
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水浴び象
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階段の彫刻
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柱の彫刻DSC03436.JPG
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極彩色の本堂
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宝物館
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岩山へ登る
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仏陀の足跡
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ここから北へ1.2㎞移動すると
 ○スリーマハー菩提樹:アヌダーダプラ大塔―釈尊はインドのブッタガヤにおいて、菩提樹の下で悟りを開いた。その枝がこの聖都アヌラーダプヤに移植されて2000年余大きくなった菩提樹は人々の礼拝の対象となる。今から2500年前、紀元前5世紀にまでさかのぼる。セイロン史の初代王ヴィジャヤ(前483~前455年)の大臣名あるいは、第4代王パンドゥカーバヤ(膳377~307年)の義理の兄であるアヌラーダの名をとったという。プラは、都の意。此の都に君臨した王たちは、だれも仏教に帰依した。特にドゥタ・ガーマニー王(第14代)―ルワンヴァリサーヤ大塔、ヴァッタガーマニー・アバヤ王(第19代)―アバヤギリ塔、マハーセナー王(第57代)―ジェータバナ塔 参考:中国の仏僧法顕著「法顕伝」
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守護神像
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スリーッマハー菩提樹
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 スリーッマハー菩提樹は、左横へ延び、支えによって守られている。入り口両側にはガードストーニフ(守護神像)が一対。七つ頭の蛇を頭の後ろに見せ、手に吉祥のつぼを持つ。

○ルワンウェリサーヤ仏塔:菩提樹の石門を抜け、長い石畳を歩くと左側に見える。参道には、猿、犬、水牛が、ガジュマルの木にはリスが走り回っている。生き物の共存だ。純白の大塔は、高さ55m、完成時には110mもあったという。
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参道から見た大塔
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 A9号線でダンブッラへ。約65㎞/約1時間30分 途中、マンゴスチンを食べる。ホテルの部屋で飲むお酒も購入。
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 203号室と204号室の間に集中配水管が通っているようで、深夜ずっと放水の音で騒がしい。19時30分に夕食。

☆温泉夜話 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
☆高野山麓の天然水「月のしずく」http://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/
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温泉夜話 昭和11年発行の「満州温泉案内」のはなし [海外のはなし]

温泉夜話 昭和11年発行の「満州温泉案内」のはなし
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昭和11年発行の「満州温泉案内」
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湯崗子温泉「龍宮温泉」

ネット古書店を検索して、魚山堂書店から昭和11年(1936年)発行、南満州鉄道刊の冊子「満州温泉案内」を見つけ、八千円で購入した。南満州鉄道は、明治39年(1906年)から第二次世界大戦の昭和20年(1945年)まで存在した。満州国は1932年2月に関東軍が満州全土を占領、同3月1日に満州国が成立した。満州鉄道沿線にある行政、商業施設拡大、整備を急速に推進する。昭和12年(1937年)日本政府は満州移民推進を決定し、満州国の日本人は1936年の19万7千人から1942年の115万に急速に増えていく。
1920、30年代は、海外への観光旅行が本格的に始まった時代。第一次世界大戦後、交通機関や宿泊施設が発達し、気軽に海外旅行が楽しめるようになる。特に文学者、画家などの芸術家が欧米へ渡航し、紀行文学、ルポツタージュが花開いた。「三等旅行記」を著した林芙美子は1931年、満州~シベリア鉄道~欧州・パリへ行くのに14日かかった。

満州鉄道の乗客数は、明治40年(1907年)は約150万人、昭和8年(1933年)は約1,000万人。1934年には大連から新京官(約700㎞)を特急アジア号は8時間半で走った。
満州国の代表的な熊岳城温泉、湯崗子温泉、五龍背温泉の三か所は、一部満州人に利用されているに過ぎなかったが、日本人仕様に開発し、国力強化と国民保養の問題を温泉活用に結び付ける一助として紹介している。

冊子は縦17.5×横19㎝で12頁の装丁となる。熊岳城温泉は、「温泉場は、駅の東南24町のところ。いで湯湧く、熊岳河のほとり、自然と人工の階調美をたくみに織り込んで、澄んだ空気と、湯煙に包まれて温泉情緒ゆたかに漂ふところ、民衆的温泉場として熊岳城温泉は、砂湯と共に、あまりにも有名である」「熊岳河野の河原を掘れば、滾々尽きぬ温泉が湧き、青天井のもとで、砂に埋もれて入浴などする野趣は、文化施設にあまりになれ過ぎている近代人のこの上なく愉しむ処で、冬も尚この砂湯の快を味わい得られるよう、モダンな硝子張りイタリー式砂場浴場(一名軍艦風呂)の設備がある」
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湯崗子温泉は、「湯崗子駅の東北4丁のところ、詩歌にその名を謳われている名峰千山を遠景に、閑雅な公園の樹間に点在する建物が温泉場である」「昭和7年3月満州国の誕生に当たり、新国家の推戴すべき元首溥儀執政並びに夫人ら一行が出盧華々しく歴史的の新京入りをなすの途、新都に於ける迎接の準備を待たれるため、一日休息された処として日満国人の記憶に今尚新なるものがある」「北満地方の露西亜人間に、此処の泥風呂の医治的効果が宣伝されて行って、その神の如き医薬的効果が知れ渡って行くとともに、北満各地をはじめ遠く天津、青島、上海あたりよりの外人浴客が殺到するに至った」
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五龍背温泉は「五龍背駅から東南方3町のところ、水清く沙河の流れに沿って、小丘を背にして木の間がくれに、乳色の湯煙に仄かに包まれて、赤い屋根をのぞかせている建物が温泉場である」「この温泉は、既に古く、唐の太宗高句麗親征の時に戦塵を洗われたと伝えられるが、日本人間には日清戦役の際、第五師団第11聯隊の兵たん部の発見によって一般んに知られ、日露役には療養所を置いて傷病兵を休養せしめた。戦後、当時従軍の一邦人によって旅館が経営せられ、大正7年満鉄が之を引き継ぎ今日に至っている」
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2011年9月16日~19日に中国東北部・旧満州の温泉巡りに取材に行き、熊岳城(ゆうがくじょう)温泉、湯崗子(とうこうし)温泉に入浴した。特に湯崗子温泉では、満州国皇帝溥儀が入浴した湯船にも入浴することができた。
温泉マニアの巡浴紀行:熊岳城(ゆうがくじょう)温泉
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2011-09-28
湯崗子(とうこうし)温泉
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2011-10-05
温泉夜話中国東北部(旧満州)温泉めぐりと高熱入院のはなし
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/archive/20111022

参考資料:日本温泉案内 西部編 大日本雄弁会講談社編 昭和5年刊
     温泉案内              鉄道省 昭和6年刊
     温泉知識           丸善株式会社 昭和13年刊

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