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第28回 東鳴子温泉~山刀伐(なたぎり)峠をえて尾花沢へ! [奥の細道を歩く]

奥の細道を歩く 第28回東鳴子温泉~尾花沢 2007年10月21日~23日

 東京駅八重洲口のハイウエイバスターミナルから古川行きの23時40分発バスに乗る。東京駅に早く着いたので、窓口で「一日の発着台数は何台か?」と聞くと500台という。10年前と余り変わらないらしい。新幹線の料金より6割でもっと増えているのかなと思ったがそれほどないらしい。
 仙台を経由して、古川駅に着いたのが翌10月22日6時25分。古川駅前には、大正デモクラシーの旗手吉野作造の出身地で銅像が立っていた。

 陸羽東線沿いは田園地帯で、すでに刈り入れが済んでいる。7時40分、前回の到着地、東鳴子温泉に着く。朝食時のせいか、秋刀魚の焼く匂いがぷーんと漂ってくる。小さい温泉街を抜けて30分も歩くと「鳴子温泉入り口」で、温泉の硫黄臭がかすかに匂う。

 鳴子温泉は荒雄川に沿ってここから1.5kmにも及ぶ温泉街で、中心地に共同浴場「滝の湯」があり、脇から右へ長い階段を登って温泉神社へ向かう。

 承知4年(837年)、地震で熱湯を噴出、その時に鳴り響いた音から「鳴声(なきご)」、後に鳴子の地名になったとする説もある。この先が鳴子峡といわれる紅葉の名所とされるが、まだ1週間は早い。「尿前(しとまえ)の関入り口」から右手へ100mも行くと関所の門や柵が見えてくる。

 左手奥には薬師神社と芭蕉句碑がある。句碑の裏側に「蚤虱(のみしらみ) 馬の尿する 枕もと」の句が刻まれている。芭蕉が訪れてから80年後に建てられたという。

 実在した尿前の関は、その場所からさらに右奥へ100mも行ったところで、案内板があるのみ。「出羽街道中山越え」の表示板に沿って、ここからしばらくきつい階段の旧道を歩く。


 ここから堺田の「封人(ほうじん)の家」まで約10kmの旧道を復元した街道である。途中の渓流沿いで「ミズ」という背丈50cmほどの植物の実を採集している男性に出会った。小さな実を噛むとパチンとはじけて、だんだん粘りが出てくる。醤油漬けにして食べる。ナラや楓などの枯葉を敷き詰めた絨毯を歩くので、足・膝の感触はアスファルトの道とははるかに違って楽に感じる。
 10時23分、中山平温泉星沼荘の源泉口を足元に過ぎて、JR陸羽東線の無人駅中山平温泉駅に出る。向かいにある「中山平郵便局」でゴム印に温泉マークが付いていることを確かめ、預金をすることにした。

 遊佐大神の碑、
甘酒地蔵尊

をえて「封人の家」に着いたのが12時30分。300年の歴史を刻む代々庄屋だった有路家で国境を守る役割を果たしていた。

受付の女性の話では、奥の座敷の建築様式から江戸時代元禄期のものと確認でき、重要文化財に指定されたという。茅葺屋根が美しい。土間の右手に厩(うまや)、左手に土間と囲炉裏間、奥に座敷が三間ある。芭蕉はここに大雨のため三泊し、「蚤虱・・・」の句を詠んだ。この地方は、出羽一番の馬の産地だったという。私は北海道の開拓農家に育った。馬や牛の尿をする様子はよく見たが、人間とは比較にならないほどの勢いがあり、その音も大きい。この句はその実感を思い出させる。私はここで赤倉温泉のパンフをいただき、本日の宿泊場所を値踏みした。2005年9月、温泉学会参加の時に「あべ旅館」にとまり、岩風呂の底から湧き出る底湯に感激した。私の温泉巡浴1137湯目の温泉。「あべ旅館」の敷地を芭蕉が歩いた旧道だと聞いた。今回の宿は、「わらべ唄の宿」のネーミングと渓流風呂の写真に惹かれて「わらべ唄の宿 湯の原」に決めた。

 封人の家の対面に土産屋兼食堂があり、そこで昼食を求めた。80歳を越えようかというおじいさんが元気で、「あいっいらっしゃいませ!」と声をかける。鮎の塩焼きとなめこ蕎麦をいただいた。国道47号線沿いに「琵琶の沢温泉」があったが、今は閉鎖中。14時13分、最上町富沢の信号を左折、明神橋を渡る。10分も歩くと赤倉温泉街に着く。

 赤倉橋の手前を左折、山の湯ロッジ前に、胡桃の塊を入れたバケツに熱い源泉が垂れ流している。湯量が豊富なんだなと実感!赤倉温泉は、貞観5年(863年)慈覚大師によって発見されたという歴史ある万病に効くと評判の湯治宿だった。小国川の両岸に12軒の温泉宿がある。
湯けむり橋で夕涼みをしている女性に声をかけた。橋を渡った薬師堂の先にある「村の湯」

に入ってきたという。湯船が5m×5mもある広い湯船で、彼女は株主で月500円の会費で入り放題、年4回ほど清掃の義務があるという。準会員は月3,000円を支払う。彼女のお勧めの宿は、貸切露天風呂が3ヶ所ある「しゃくなげ荘」だという。15時「わらべ唄の宿 湯の原」に到着。


夕食膳

朝食膳の一部「奈良茶膳」

 窓外の景観に優れ、家族的な雰囲気で源泉掛け流しの湯、塩素臭がしないのがいい。芭蕉ゆかりの「月見の膳」や「奈良茶膳」を再現した料理を提供している宿と知り感激した。宿の滞在記は、別途紹介したい。

 翌日、8時40分に薬師堂を参拝してから、

 県道尾花沢線で山刀伐(なたぎり)峠へ向かう。日陰では氷が張っていて驚く。高い山は紅葉が始まり、一句「散りゆくを 紅葉(もみじ)と慕う 人哀れ」9時30分、トンネル手前で左に折れる旧道入り口に入る。


 山刀伐峠1.8㎞、尾花沢まで18㎞の表示あり。ぶなの原生林を登る。芭蕉の記録では相当厳しい山道と想像するが、今余りにも整備されてこんなに楽して登っていいのかなとさえ思う。標高が470m、1時間15分ほどで峠へ出る。気温は10度以下か?風が強くなってきた。子宝地蔵と子持ち杉へ

行くと4人の登山者に出会う。子宝地蔵は3体あり、顔の輪郭は判読できないほど。旧道を下り市野々の地蔵尊像あたりは、風が温かく感じられる。でも強風で飛ばされそうな風も。このあたりは防風・防雪板が設置されている。

12時23分、御所神社通過、裏宿でY字路を左折し西正厳橋を渡り、尾花沢市外へ入る。この間、昼食場所が無く、宿でいただいた4個の温泉卵のうち2個を食べた。

 13時40分、信号脇の「田中工房」で道を尋ねた。「奥の細道」の芭蕉の姿と句を刻んだ黒御影石を展示されている。

石やセラミック版、ステンドグラスに彫刻をする工房だ。さまざまな体験教室も開いている。オリジナルな記念彫刻で3~5万円で製作してくれる。
14時頃、はす向かいの「きそば茶屋」で遅い昼食をとる。

ここから20分ほどで「芭蕉・清風歴史資料館」へ到着する。団体の観光客で混雑していたので、先に芭蕉が7泊した養泉寺へ向かう。養泉寺は明治初年に大火で焼失し、残ったのは井戸だけ。観音堂を参拝し、鞘堂内の自然石句碑「涼しさを 我宿にして ねまる也」を鑑賞する。

 戻って、表の芭蕉像を撮影した後、資料館へ入館する。


ショーケースの中で元禄15年(1702年)発行の「奥のほそみち」井筒屋本を見かけ、感動する。後で、館員に尋ねると「オリジナルは書庫に保管しています」とのことだ。バスでJR大石田駅へ向かうつもりだったが、時間が無くタクシーで移動した。タクシーの運転手は流石に芭蕉ゆかりの土地がらか、芭蕉に詳しくうんちくを披露していただいた。芭蕉は尾花沢で、清風らに強く勧められて立石寺へ行くことになる。6時半に出発し、楯岡までは馬で、あとは歩いて15時には到着し、その日に参詣している。7里28㎞を8時間半で行ったことになる。 

奥の細道を歩くhttp://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/
全国おすすめ温泉宿http://www.a-spa.co.jp/onsen-yado-index.htm
赤倉温泉 あべ旅館http://www.a-spa.co.jp/spa/akakura/index.htm
温泉水ショップhttp://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/index.html
旧街道をあるく旅http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/
温泉夜話 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉郵便局のはなしhttp://www.a-spa.co.jp/yawa/yawa1.htm#post


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kohtyan

尿前の関は、芭蕉の句から名が付けられたのですね。
by kohtyan (2007-11-01 18:23) 

hide-m

kohtyanさん サイコ・トラベラーさん taktakさん nice!をありがとうございます。

kohtyanさん 尿前の関は芭蕉同行の曾良旅日記に「尿前・・・関所有」と記しているので、芭蕉が訪ねる前からの関所名だったようです。この地方は、馬の産地で有名だったので、その関係かもしれませんね。
by hide-m (2007-11-02 08:27) 

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