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奥の細道 仙台~松島 第23回ああ~まつしまや [奥の細道を歩く]

第23回 奥の細道を歩く 仙台~松島 2007年6月25日~28日2泊3日

2007年6月25日夜、東北新幹線で仙台に向かう。1ヶ月半ぶりの奥の細道歩きとなる。松島までいくつもり。

JRが最近50歳以上の年齢層を対象に「ナイス倶楽部」で「3日間新幹線も含め乗り放題12,000円」に魅せられ会員に登録しての激安プラン利用となる。前泊でも温泉宿がないか探したら、仙台市内にいくつかあった。その内の瑞鳳殿の東麓のがけっぷちにある宿「鹿落(ししおち)温泉 鹿落旅館」である。
詳しくは別途、温泉宿取材記で紹介しているので、参照のこと。

翌朝6月26日5時半に旅館を出る。隣の馬頭観音を参拝し、瑞鳳殿への近道を行く。小雨が降ってくる。時間が早いのでまだ閉門だが、園内の散策は自由のようだ。隙間からちょっと入り、写真撮影を試みる。

裸眼で見るとまだよく見えるのにデジカメのレンズでは霧でかすんで見える。杜はうっそうと茂り、アジサイが咲き小鳥がさえずり、どこからか寺の鐘が響く。二代忠宗廟の感仙殿、三代綱宗廟の善応殿を通過。6時10分、寛永14年(1,637年)創建の瑞鳳寺を右手に見て下り、

左折して青葉城跡へ向かう。大橋を渡ると左手が青葉城跡。昭和20年の空襲で焼失し、隅櫓は昭和39年に復元した。隙間なく組まれた石垣は昔のまま使用したのか?

観光バスで何度も来て説明を受けているはずなのに覚えていない。

頂上で伊達政宗像などを見ながら周遊し、下山する。雨がやまずに亀岡八幡宮行きは諦めた。

JR仙台駅に向かい、前回まで歩いたJR長町駅に戻り、8時10分、そこからほぼ国道4号線に沿って中心部へ向かう。仙台駅西口から東口へ抜け、榴ヶ岡(つつじがおか)公園へ。

雨が降り、傘をさしてもリュックが濡れるので、第一スポーツでリュックカバーを購入する。榴ヶ岡公園で出会ったおばあさんが、「芭蕉のゆかりのものがここにあるとは聞いたことがない。ここは青葉城跡より標高29センチ高いんだよ」と教えてくれた。雨中、東照宮へ移動する。

11時30分宮町五丁目の信号から北へ、鳥居が見えてくる。東照宮は二度目の訪問だが、全く記憶がない。髄神門をくぐり、拝殿まで五十数段ある。社務所で芭蕉のゆかりのものが無いか訪ねると「来た記録はないですね。」とそっけない。芭蕉は仙台に5日間滞在し、画工加右衛門の案内で名所をくまなく立ち寄った。加右衛門が芭蕉と別れるにあたり、芭蕉主従に贈った「ほし飯と草鞋」に対して、芭蕉は次の句を詠んだ。「あやめ草 足に結ばん 草鞋の緒」

東照宮から東へ、東仙台2丁目で8号線に合流。4㎞ほどで岩切大橋を渡り、「洞ノ口」を右折、35号線にはいる。さらに4km弱で多賀城の「壷の碑(つぼのいしぶみ)」が右手に見えてくる。


「あやめ祭り」の旗が目印をしてくれる。鞘堂に収められた「壷の碑」の周りで団体客に観光ボランテアが説明をしている。私も資料を受け取る。西に向いた碑の高さが2m、横が1mで表面に掘られた字がかすかに見える。天平宝字6年(762年)の建立で栃木県の那須の国造碑(なすのくにみゃっこのひ)、群馬県の多古碑と並ぶ三古碑で江戸時代に発掘された。多賀城の創建や修造について書かれている。1,245年前の石碑で、芭蕉が見た当時は露天だった。多賀城跡は道路向こう側の丘に残るが、芭蕉が訪れた時、この遺跡はまだ地下に埋もれたままだった。ここは明日改めて訪ねることとなる。壷の碑の右手奥にはあやめ園が見事な花を咲かせている。

本日の宿泊場所は、「かんぽの宿松島」に決めたが、途中にあるJR松島海岸駅から15分のところにある「湯の原温泉・元湯 霊泉亭」に立ち寄ることにする。ここは湯治・炊事の宿で夕食は付かないので、宿泊を諦めたところだ。この宿の紹介は、別途紹介する。

湯の原温泉から松島海岸駅へは徒歩で行く。仙石線野蒜駅で下車し、徒歩15分で松島簡易保険保養センターに到着する。

まだ明るい。ホテルの前に赤松林があり、その向こうが海だ。仙台市内にもっと近いところに宿泊しようとしたが、利府町の動珍坊温泉、権現森温泉は入浴のみ。沢乙温泉・内海旅館は一人客を受け付けないので諦め、結局奥松島まで足を伸ばすこととなった。
松島簡易保養センターは、客室54室の大きなホテルで、「スポーツランドアネックス」が隣接して、パークゴルフ、テニスコート、ゲートボールコートなどを完備している。ロビーは仙台祭りでおなじみの七夕の飾りが空間を飾る。2階の和室203号室に案内していただく。

入り口すぐ左手に広い洗面台、奥にウオシュレットトイレ。6畳間にテーブルが付く広縁、床の間やテレビ・冷蔵庫・金庫がコンパクトに置かれ無駄のない設計。
浴室は大浴場に隣接する露天風呂がある。37.9度のカルシウム・ナトリウム塩化物泉で加温・循環・塩素殺菌。ナトリウムが2149、カリウム55.4、カルシウム2817、ストロンチウム12.6mg、塩素イオン7428、硫酸307.9、炭酸22.4、炭酸水素5.5mgと結構重金属が濃い温泉だが、それらしい肌さわりにかけるのは、循環のせいか。

夕食は1階のレストランでいただいた。

杏酒に始まり、先付け、アナゴ黄味煮、鮮度の良い鮪・牡丹海老・イカのお造り、鰯蒲焼風とろろ和え、仙台ポーク陶板焼き、珍味の煮貝オレンジソース、もずく・・・と茶碗蒸し。茶碗蒸しのふたを開けると中に大きなハエが横たわっていた。これにはげんなり。すぐに取り替えていただき、お詫びにと宿オリジナルのお酒をいただいた。なにせ一人旅では気分が優れない。厨房からは赤ちゃんの泣き声がする。この宿の厨房には託児所があるのか?
食後、売店を観察する。

藍染の商品の表示を見て驚いた。「青梅産手作り藍染」私の住む地元ではないか。東青梅の村山商店産だという。売店の看板娘は、藍染の着物を着ててきぱきと対応している。見ている間に藍染商品の売れ行きが良い。とにかく安いようだ。
翌朝7時からのバイキングは、天候もよくバイキングの種類、味も申し分なかった。宿泊料金は、1泊2食付11,175円(税込)

JR仙石線野蒜駅から昨日あるいた場所の多賀城駅まで戻る。駅の南側へ宝国寺の「末の松山」へ。

寺の裏手の高台に樹齢400年の松巨木が2本立つ。さらに南へ行くと柵に囲まれた「沖の石」。

池の中に大小の岩が固まる。歌枕に読まれた場所だ。多賀城駅北側に移動し、野田の玉川を探すが見つからず、時間をロスしながらも、昨日来た多賀城跡へ着いたのが10時。陸奥の国府、鎮守府として神亀元年(724年)に創建された。昭和37年に発掘開始され、現在も発掘中で、熱射中のなかでも10人ほどが土を運んでいる。

丘の上に上るとボランティアの年配者が若い女性に教えているところだ。こうして観光ボランティアが育成されている。
2kmも35号線を歩くと東北本線塩釜駅へ。さらに1.5 km行き3号線を右折すると塩釜神社入り口。

両側の杉林を分けた形で急な202段の階段が伸びている。表参道だ。


「文治三年和泉の三郎寄進」

芭蕉の感動を誘った塩釜神社左宮の前にある「文治三年和泉の三郎寄進」は、悲劇の英雄義経に味方して敗れ自刃した秀衝の三男忠衝が自刃の2年前に寄進した灯篭のことだ。女坂でくだり、古い商家がまだ残る。

塩釜港船乗り場へ向かう。12時出港の船を待つ。夏祭りが近いのか、鳳凰船が停留している。

団体客の後について小さな船に乗ろうとして係員に止められる。「あちらの船は、散骨の船なんです。最近散骨が多いんです。お客さんはこちらです。」とさらに小さな船に案内される。定員48人乗りのVIP用高速サロンで貸切で60分7万円の船。

乗船者は私を含めて大人が4人に赤ちゃんが一人。
艇内ガイドを聞きながらの遊覧で、これまで十数回訪れたが、最高の快晴。左右の島々に感動する。芭蕉も同じ時期、天候も快晴で松の緑が映えたという。島の数は260、有人の島はわずかで人口は750人とか。
松島に着き、まず右手の五大堂に立ち寄る。

食事で塩たん丼とそば(780円)をいただいた後、

瑞巌寺正面に立ち寄った後、禅宗の修験の場だった雄島へ。


修行の僧たちが手彫りの穴の中で厳しい修行をした。瑞巌寺は何度も訪ねたが、雄島は初めての訪問だった。
帰りの新幹線の時間に合わせ14時30分に松島海岸を後にする。次回は松島から石巻、登米へと続く。

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