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大洗イエローポートで食事、アサヒビール茨城工場とめんたいパーク見学 2012.5.23
イエローポートで食事、アサヒビール茨城工場とめんたいパーク見学 2012.5.23

アサヒビール茨城工場での試飲(ベルギーのビール)
団体旅行で暫くぶりに観光バスの故障に当たってしまった。出発時間が来ても大型観光バスが所定の場所に来ない!じつは近くまで来ているのだが、エアー(前輪タイヤ)が落ちてがたがたと振動して修復できないという。仕方なく直近の圏央道青梅インターの近くで、代車の観光バスを待つことになった。天候は快晴で、休憩場所を一ヶ所省いて最初の見学地の茨城県守谷の「アサヒビール茨城工場」には、なんとか時間通りに着くことができた。
「アサヒビール茨城工場」は、全国に9つある工場の主力として1991年の操業で、1日の仕込が16回、1回の仕込みで125キロリットル作られる。1年間に大瓶で換算して6億6千万本、1日270万本分作られるというから想像ができないほど。オートメーションで次から次へとボトリングされ、梱包される。

アサヒビール茨城工場

「オリエンテーションシアター」終わるとスクリーンがスライドで隠れて外の庭園が見られる
工場見学は、予約制で9時から15時30分まで、30分間隔で案内を受付ける。案内嬢は20才から45才までの15人が担当する。時間は90分ほどで、最初は大型3面スクリーンでビール製造などを紹介する「オリエンテーションシアター」終わるとスクリーンがスライドで隠れて外の庭園が見られる仕掛けだ。庭園を眺めながら緑のアプローチを通って工場へ。最後は最上階へエレベーターで上がって試飲会場である高さ60mの「展望接待館」へ。 今回は「スーパードライ」とベルギーのビール「ビューガルデン ホワイト」が試飲できる。ベルギーのビールは小麦を使った淡いイエローのビール、フルーテイで飲みやすい。発泡酒でアルコール度が4.9%(アサヒスーパードライは5%)2012年2月21日発売のノンアルコールビール「アサヒドライゼロ」も飲んでみる。「ドライのどごしとクリアな後味」と有名らしい。麦汁を利用せずにビール成分を再現して、余分な甘味や雑味を抑えることに成功したという。試飲は、一人3杯まではおかわりできる。なおアサヒビールのガイド嬢の今井さんは、試飲の案内のとき「仕事中なので、飲むことはありません」という。

試飲会場である高さ60mの「展望接待館」入り口

高さ60mの「展望接待館」から見下ろす景色

高さ60mの「展望接待館」から見下ろす景色


「アサヒスーパードライ」の他にもノンアルコール飲料もある

ビールを美味しく飲むためのグラスへの注ぎ方を教わる
(他のメーカーでは、ガイド嬢が飲んでみせる所もあり)
ビールでのどを潤した後は、大洗のイエローポートでお刺身の昼食。私もここで海老と蛸の刺身を購入。買物のあとは大洗磯前神社で参拝後「めんたいパーク」へ。ここでもすけそうたらから辛子明太子ができるまでの案内をしていただいて最後に試食とお買物のの時間。辛子明太子の軍艦巻きを緑茶でいただく。

大洗磯前神社山門

大洗磯前神社拝殿、その奥には本殿がある

社を背にして参道の階段の奥には白波の太平洋が見える(参道階段の下に二の鳥居がある)

「めんたいパーク」

「めんたいパーク」の試食コーナーと無料飲料自動販売機
旅と温泉の相談室アスパサービスhttp://www.a-spa.co.jp/
まつの家の温泉尽くしの1日http://www.a-spa.co.jp/matunoke/index.html
ペットと泊まる温泉宿 http://www.a-spa.co.jp/pet/
エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html

アサヒビール茨城工場での試飲(ベルギーのビール)
団体旅行で暫くぶりに観光バスの故障に当たってしまった。出発時間が来ても大型観光バスが所定の場所に来ない!じつは近くまで来ているのだが、エアー(前輪タイヤ)が落ちてがたがたと振動して修復できないという。仕方なく直近の圏央道青梅インターの近くで、代車の観光バスを待つことになった。天候は快晴で、休憩場所を一ヶ所省いて最初の見学地の茨城県守谷の「アサヒビール茨城工場」には、なんとか時間通りに着くことができた。
「アサヒビール茨城工場」は、全国に9つある工場の主力として1991年の操業で、1日の仕込が16回、1回の仕込みで125キロリットル作られる。1年間に大瓶で換算して6億6千万本、1日270万本分作られるというから想像ができないほど。オートメーションで次から次へとボトリングされ、梱包される。

アサヒビール茨城工場

「オリエンテーションシアター」終わるとスクリーンがスライドで隠れて外の庭園が見られる
工場見学は、予約制で9時から15時30分まで、30分間隔で案内を受付ける。案内嬢は20才から45才までの15人が担当する。時間は90分ほどで、最初は大型3面スクリーンでビール製造などを紹介する「オリエンテーションシアター」終わるとスクリーンがスライドで隠れて外の庭園が見られる仕掛けだ。庭園を眺めながら緑のアプローチを通って工場へ。最後は最上階へエレベーターで上がって試飲会場である高さ60mの「展望接待館」へ。 今回は「スーパードライ」とベルギーのビール「ビューガルデン ホワイト」が試飲できる。ベルギーのビールは小麦を使った淡いイエローのビール、フルーテイで飲みやすい。発泡酒でアルコール度が4.9%(アサヒスーパードライは5%)2012年2月21日発売のノンアルコールビール「アサヒドライゼロ」も飲んでみる。「ドライのどごしとクリアな後味」と有名らしい。麦汁を利用せずにビール成分を再現して、余分な甘味や雑味を抑えることに成功したという。試飲は、一人3杯まではおかわりできる。なおアサヒビールのガイド嬢の今井さんは、試飲の案内のとき「仕事中なので、飲むことはありません」という。

試飲会場である高さ60mの「展望接待館」入り口

高さ60mの「展望接待館」から見下ろす景色

高さ60mの「展望接待館」から見下ろす景色


「アサヒスーパードライ」の他にもノンアルコール飲料もある

ビールを美味しく飲むためのグラスへの注ぎ方を教わる
(他のメーカーでは、ガイド嬢が飲んでみせる所もあり)
ビールでのどを潤した後は、大洗のイエローポートでお刺身の昼食。私もここで海老と蛸の刺身を購入。買物のあとは大洗磯前神社で参拝後「めんたいパーク」へ。ここでもすけそうたらから辛子明太子ができるまでの案内をしていただいて最後に試食とお買物のの時間。辛子明太子の軍艦巻きを緑茶でいただく。

大洗磯前神社山門

大洗磯前神社拝殿、その奥には本殿がある

社を背にして参道の階段の奥には白波の太平洋が見える(参道階段の下に二の鳥居がある)

「めんたいパーク」

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温泉夜話 東京都稲城市から青梅市へ来るきっかけ [温泉マニア]
温泉夜話 東京都稲城市から青梅市へ来るきっかけ

雲取山の帰りに「三条の湯」に入浴!
私は1977年(昭和52年)2月29日に結婚し、独身時代に住んでいた東京都墨田区立花の倒壊寸前の木造一軒家から稲城市に引っ越した。稲城といえば、梨が名産で梨農家の平屋一軒家を借りて過ごした。翌年4月22日に長女が生まれ、翌々年次女が生まれた。共稼ぎの妻は二人の子供たちをベビールームと保育園に送ってから仕事に行き、私は旅行業に就き、世田谷の経堂営業所に通っていた。梨畑に囲まれた場所で、夏になると梨畑を通るたびに蝉が驚いて一斉にピュッとおしっこをかけながら一斉に飛び出すという東京都内とは思えない環境で申し分なかった。あるとき、1階が庭付マンション分譲のチラシが舞い込んできた。場所は東京都青梅市で当時、稲城からは「とても田舎で遠い場所」と思っていた。それから時々車で青梅市の分譲マンションを見に通い、ついに1982年(昭和57年)青梅市天ケ瀬に引っ越した。子供たちが3歳と4歳のときだった。
青梅市は青梅街道の中継点で、歴史が古く、多摩川に面し奥多摩の山々も近く、子供たちを育てるには最適の環境と思われた。何といっても北海道の山奥に育った私の子供の頃の環境に似たところで育てたいという思いがあった。休日には家族で御岳山や大岳山に登り、川遊びをしたりした。60室の大きなマンションだったので同じ年頃の子供達が走り回るにぎやかなマンション住まいだった。青梅市内には東京唯一の温泉郷「岩蔵温泉」(アルカリ性単純硫黄泉)があり、引越し前の1981年(昭和56年)12月22日に温泉宿が数件ある中で明治16年創業の老舗旅館・儘田屋(ままだや)の岩風呂に入浴した。私の全国温泉巡浴227湯目の温泉だった。12月29日には奥多磨町川井の松乃温泉「水香園」にも入浴した。この頃は毎週、稲城から青梅へ通い、マンションの下見ついでに温泉入浴を楽しんでいた。
青梅には1月12日の青梅だるま市、2月の青梅マラソン大会、2~3月の青梅「梅の公園」の梅まつり、5月2~3日の青梅大祭、5月の重要文化財指定の本堂、仁王門、阿弥陀堂のある塩船観音のつつじ祭り、8月の花火大会など歴史ある有名なイベントや花祭りがあり、子供たちにとっては四季折々の移ろいや文化に親しめる環境だった。青梅に引っ越した後、数年花火大会の会場である永山公園に家族そろってござや弁当、ビールを持参して見に行った。どーんと花火を打ち上げるたびに感じる地響きの体感がこれほど大きいものだと知ったのもここでの花火大会が初めてだった。それまでは空に打ち上げられた花火を遠くから見るものだと思っていた常識を打ち破ってしまった。
1986年(昭和61年)8月17日、東京の最高峰である雨模様の雲取山(標高2017m)に片道3時間かけて登り、帰路途中「三条の湯」(源泉10.5度の自噴・単純硫黄冷鉱泉)に入浴をし、ずぶぬれの親子がこの「三条の湯」で生き返って「辛抱して登ってよかったね」と喜び合った思いは忘れられない。私の全国温泉巡浴392湯目の温泉である。雲取山の最高峰は東京都内だがこの「三条の湯」の住所は山梨県北都留郡丹波山村になる。なお、「三条の湯」は奥多摩の「お祭り」バス停留所から歩いて30分ほどのところ。
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温泉水サーチhttp://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/search.html
旧街道をあるく旅 http://aaspa.web.fc2.com/index-tabi.html
冷え性対策に!田口式健康サポーターhttp://www.a-spa.co.jp/taguti/
温泉グッズ 譲ります、譲ってください。http://www.a-spa.co.jp/mania/index.html

雲取山の帰りに「三条の湯」に入浴!
私は1977年(昭和52年)2月29日に結婚し、独身時代に住んでいた東京都墨田区立花の倒壊寸前の木造一軒家から稲城市に引っ越した。稲城といえば、梨が名産で梨農家の平屋一軒家を借りて過ごした。翌年4月22日に長女が生まれ、翌々年次女が生まれた。共稼ぎの妻は二人の子供たちをベビールームと保育園に送ってから仕事に行き、私は旅行業に就き、世田谷の経堂営業所に通っていた。梨畑に囲まれた場所で、夏になると梨畑を通るたびに蝉が驚いて一斉にピュッとおしっこをかけながら一斉に飛び出すという東京都内とは思えない環境で申し分なかった。あるとき、1階が庭付マンション分譲のチラシが舞い込んできた。場所は東京都青梅市で当時、稲城からは「とても田舎で遠い場所」と思っていた。それから時々車で青梅市の分譲マンションを見に通い、ついに1982年(昭和57年)青梅市天ケ瀬に引っ越した。子供たちが3歳と4歳のときだった。
青梅市は青梅街道の中継点で、歴史が古く、多摩川に面し奥多摩の山々も近く、子供たちを育てるには最適の環境と思われた。何といっても北海道の山奥に育った私の子供の頃の環境に似たところで育てたいという思いがあった。休日には家族で御岳山や大岳山に登り、川遊びをしたりした。60室の大きなマンションだったので同じ年頃の子供達が走り回るにぎやかなマンション住まいだった。青梅市内には東京唯一の温泉郷「岩蔵温泉」(アルカリ性単純硫黄泉)があり、引越し前の1981年(昭和56年)12月22日に温泉宿が数件ある中で明治16年創業の老舗旅館・儘田屋(ままだや)の岩風呂に入浴した。私の全国温泉巡浴227湯目の温泉だった。12月29日には奥多磨町川井の松乃温泉「水香園」にも入浴した。この頃は毎週、稲城から青梅へ通い、マンションの下見ついでに温泉入浴を楽しんでいた。
青梅には1月12日の青梅だるま市、2月の青梅マラソン大会、2~3月の青梅「梅の公園」の梅まつり、5月2~3日の青梅大祭、5月の重要文化財指定の本堂、仁王門、阿弥陀堂のある塩船観音のつつじ祭り、8月の花火大会など歴史ある有名なイベントや花祭りがあり、子供たちにとっては四季折々の移ろいや文化に親しめる環境だった。青梅に引っ越した後、数年花火大会の会場である永山公園に家族そろってござや弁当、ビールを持参して見に行った。どーんと花火を打ち上げるたびに感じる地響きの体感がこれほど大きいものだと知ったのもここでの花火大会が初めてだった。それまでは空に打ち上げられた花火を遠くから見るものだと思っていた常識を打ち破ってしまった。
1986年(昭和61年)8月17日、東京の最高峰である雨模様の雲取山(標高2017m)に片道3時間かけて登り、帰路途中「三条の湯」(源泉10.5度の自噴・単純硫黄冷鉱泉)に入浴をし、ずぶぬれの親子がこの「三条の湯」で生き返って「辛抱して登ってよかったね」と喜び合った思いは忘れられない。私の全国温泉巡浴392湯目の温泉である。雲取山の最高峰は東京都内だがこの「三条の湯」の住所は山梨県北都留郡丹波山村になる。なお、「三条の湯」は奥多摩の「お祭り」バス停留所から歩いて30分ほどのところ。
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温泉夜話 黛まどか著「サランへヨ 韓国に恋をして」と温泉のはなし [温泉マニア]
温泉夜話 黛まどか著「サランへヨ 韓国に恋をして」と温泉のはなし

サランへヨ 韓国に恋して 黛まどか著
私は2006年1月から日光街道・奥の細道を歩き繋いで芭蕉の旅の後を追っていた。少年のころ、俳句を嗜んだことがあり、各地で芭蕉の句に接するたびに我流で俳句を詠んでいた。2007年11月、山形県赤倉温泉「わらべ唄の宿 湯の原」に宿泊したとき、当時テレビで「趣味悠々 奥の細道を歩く」に出演していた俳人黛まどか氏のことを初めて知り、それがきっかけできちんと俳句の勉強をしたいと思った。
その後、黛まどか氏が1999年に約900km余のスペイン・サンチャゴ巡礼地を40日で踏破したことを知った。私は東海道五十三次(約500km)、中山道六十三次(約530km)、青梅街道、日光街道に続く奥の細道(約2,400km)を踏破した経験から、黛まどか氏の精神力の強さや才能の豊かさに注目をした。黛まどか氏は、さらに2001~2002年に掛けて1年2ヶ月5回に分けて韓国の釜山からソウルまでの約500kmを踏破したことを知り、著作を読み温泉マニアの立場から、果たして温泉宿に泊まり入浴したのかを知りたくなった。
黛まどか氏は、ソウルから釜山に飛び、釜山からソウルへ向かって歩いている。ルートは、釜山~海雲台~日光~鎮下~慶州~永川~安東~聞慶~水安堡~忠州~利川~城南~ソウルである。この間有名な温泉地は、海雲台(ヘウンデ)、慶州(キョンジュ)、水安堡(スアンポ)、利川(イチョン)と4ヶ所もある。釜山近郊には東萊(トンネ)温泉があるがそこには立ち寄ってはいない。地方を歩くことが多いからか、韓国人の気質、喜怒哀楽を素のままに表現する、「何かお困りですか?」など外国人に対する世話焼き好きなど・・・多くの体験をされたようである。さて、最初の温泉地慶州では、「仏国寺から慶州市内への道は、すでにYさんが地図で捜し出してあった。慶州温泉観光ホテルのすぐ脇から入って北へ伸びる十キロほどの農道だ」と慶州温泉観光ホテルの名は出るが宿泊したとは書いていない。「水安堡は温泉で有名な町である。また、スキー場もあり・・・・四方を山の囲まれた日本でもよくあるような静かな温泉地」と珍しく温泉地の紹介をしている。水安堡のバスターミナルで道を聞いてから炎天下を3時間歩いた後、一軒宿で聞いた温泉付き宿はここから(この時点で19時)車で15分というが予想以上の時間がかかって21時前に到着というので、水安堡温泉ではないようだ。ここから忠州までは約20kmという。
「利川のホテルロビーで彼女たちと合流。・・・利川は陶磁器の町として日本でも知られているが・・・」と結局、利川が温泉地として有名であることや温泉に入浴したことは何も書いていない。1日に8~9時間も歩いていると温泉に興味があっても、「もうだめ!ここで泊まろう」という心境になるのは私も経験済みだが、慶州、水安堡、利川温泉という有名な温泉町を通過しているのだ。
印象深い場面をご紹介しようと思う。第33話 落書
2001年12月5~6日、「投げ合うてゐるハングルと雪礫(ゆきつぶて)」安東(アンドン)の中心地まで15km、一晩中降り続いた。・・・・市内を流れる洛東江にさしかかると、白く雪で覆われた土手に、ハングル語で大きく文字が描かれていた。「何て書いてあるの?」「サランへヨ・・・・I Love You のことです。・・・」
第34話 春の土手
2002年4月17日、「村人に旅人に山笑いをり」春の安東にやってきた。前回到着した時には雪で覆われていた野原や土手には、菜の花や連翹、なずなといった春の野花が咲き乱れている。・・・私たちは迷わず農道へと入った。皆小さな花を見つけては足を止め、押し花にしたり、俳句を詠んだりと道草に忙しい。こんなふうにひともとの野原にかがむ時、私は韓国の地霊から小さなプレゼントを貰った気がする。神のもつ優しい一面に触れたような気がする。・・・
季節の変わり目を繋いで、俳人黛まどか氏の清冽な心境の言葉がすがすがしい。今後も氏の動向に注目したいと思う。尚、この「韓国俳句紀行」の中で温泉入浴はあったのか?何という温泉地だったのかをご本人に確かめたいと思う。
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サランへヨ 韓国に恋して 黛まどか著
私は2006年1月から日光街道・奥の細道を歩き繋いで芭蕉の旅の後を追っていた。少年のころ、俳句を嗜んだことがあり、各地で芭蕉の句に接するたびに我流で俳句を詠んでいた。2007年11月、山形県赤倉温泉「わらべ唄の宿 湯の原」に宿泊したとき、当時テレビで「趣味悠々 奥の細道を歩く」に出演していた俳人黛まどか氏のことを初めて知り、それがきっかけできちんと俳句の勉強をしたいと思った。
その後、黛まどか氏が1999年に約900km余のスペイン・サンチャゴ巡礼地を40日で踏破したことを知った。私は東海道五十三次(約500km)、中山道六十三次(約530km)、青梅街道、日光街道に続く奥の細道(約2,400km)を踏破した経験から、黛まどか氏の精神力の強さや才能の豊かさに注目をした。黛まどか氏は、さらに2001~2002年に掛けて1年2ヶ月5回に分けて韓国の釜山からソウルまでの約500kmを踏破したことを知り、著作を読み温泉マニアの立場から、果たして温泉宿に泊まり入浴したのかを知りたくなった。
黛まどか氏は、ソウルから釜山に飛び、釜山からソウルへ向かって歩いている。ルートは、釜山~海雲台~日光~鎮下~慶州~永川~安東~聞慶~水安堡~忠州~利川~城南~ソウルである。この間有名な温泉地は、海雲台(ヘウンデ)、慶州(キョンジュ)、水安堡(スアンポ)、利川(イチョン)と4ヶ所もある。釜山近郊には東萊(トンネ)温泉があるがそこには立ち寄ってはいない。地方を歩くことが多いからか、韓国人の気質、喜怒哀楽を素のままに表現する、「何かお困りですか?」など外国人に対する世話焼き好きなど・・・多くの体験をされたようである。さて、最初の温泉地慶州では、「仏国寺から慶州市内への道は、すでにYさんが地図で捜し出してあった。慶州温泉観光ホテルのすぐ脇から入って北へ伸びる十キロほどの農道だ」と慶州温泉観光ホテルの名は出るが宿泊したとは書いていない。「水安堡は温泉で有名な町である。また、スキー場もあり・・・・四方を山の囲まれた日本でもよくあるような静かな温泉地」と珍しく温泉地の紹介をしている。水安堡のバスターミナルで道を聞いてから炎天下を3時間歩いた後、一軒宿で聞いた温泉付き宿はここから(この時点で19時)車で15分というが予想以上の時間がかかって21時前に到着というので、水安堡温泉ではないようだ。ここから忠州までは約20kmという。
「利川のホテルロビーで彼女たちと合流。・・・利川は陶磁器の町として日本でも知られているが・・・」と結局、利川が温泉地として有名であることや温泉に入浴したことは何も書いていない。1日に8~9時間も歩いていると温泉に興味があっても、「もうだめ!ここで泊まろう」という心境になるのは私も経験済みだが、慶州、水安堡、利川温泉という有名な温泉町を通過しているのだ。
印象深い場面をご紹介しようと思う。第33話 落書
2001年12月5~6日、「投げ合うてゐるハングルと雪礫(ゆきつぶて)」安東(アンドン)の中心地まで15km、一晩中降り続いた。・・・・市内を流れる洛東江にさしかかると、白く雪で覆われた土手に、ハングル語で大きく文字が描かれていた。「何て書いてあるの?」「サランへヨ・・・・I Love You のことです。・・・」
第34話 春の土手
2002年4月17日、「村人に旅人に山笑いをり」春の安東にやってきた。前回到着した時には雪で覆われていた野原や土手には、菜の花や連翹、なずなといった春の野花が咲き乱れている。・・・私たちは迷わず農道へと入った。皆小さな花を見つけては足を止め、押し花にしたり、俳句を詠んだりと道草に忙しい。こんなふうにひともとの野原にかがむ時、私は韓国の地霊から小さなプレゼントを貰った気がする。神のもつ優しい一面に触れたような気がする。・・・
季節の変わり目を繋いで、俳人黛まどか氏の清冽な心境の言葉がすがすがしい。今後も氏の動向に注目したいと思う。尚、この「韓国俳句紀行」の中で温泉入浴はあったのか?何という温泉地だったのかをご本人に確かめたいと思う。
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釜山周辺の温泉地を訪ねて その2. 霊山温泉、釜谷温泉へ。2012年4月27日~30日 [海外のはなし]
釜山周辺の温泉地を訪ねて その2. 霊山温泉、釜谷温泉へ。2012年4月27日~30日

釜谷(ブコク)温泉「釜谷ハワイ」入り口
2012年4月28日14時、東萊温泉を出発し、馬金山温泉を取材した後、次の取材先の霊山(レサン)に向かう。朴さんも初めての場所らしく何度も聞きながらの運転だ。ラクトンガン川を渡った先に大きな田圃を作っているのかな?と聞くと「セリの栽培だよ」と朴さん。国道1008号線沿いの釜谷温泉を右手に見て、一旦通り過ぎ右折すると霊山の集落。14時45分、霊山の集落をすぎて右折して原生林の急坂を上ったところらしい。雄山殿というお寺の近くのようだ。下山の登山者に聞いてついに突き止めたが、霊水がでているだけで入浴施設が無いのだ。タオルを入れた袋をぶら下げて階段を上ってきた私はがっかりだ。湧出口の右手には山神を祀った祠がある。2匹の亀口から注ぎでる霊水を汲みにくる客が断続的に見える。4~5人連れのおばさんたちが「私の結婚前40年前に一度きたことがある」と言っていたよと朴さん。韓国でも有数の健康によいお水だという。歴史が古く地元では、「霊山温泉」よりは「霊山薬水」で知られる。説明書によると「韓国で一番の水。新羅時代、病気の母と息子が薪を取って生活をしていたが、生薬を飲んでも母の病気が治らなかった。あるとき息子の夢の中に白髪のおじいさんがここへ自分を呼んだところで目を覚ました。目の前の石の間から清水が湧いていた。息子は壷に入れて毎日母に飲ませ。すると次第に母の病気に効いてきた」この間、雄山殿から読経が聞こえていて、坂道をさらに登り参拝に行くとその読経はテープで流れている中、一人の若者が腰を折って礼拝をしていた。

山の中腹に登る・・・

霊山温泉が見える?


霊山温泉は入浴施設がない!

霊山温泉の隣に祠が・・・

さらに登ると雄山殿から読経が聞こえていて・・・

雄山殿から霊山集落を望む
坂を下ったところにある「霊山石氷庫」がある公園と河原にそって造られた「南山護国公園」に立ち寄る。1592年に豊臣秀吉に攻められた時に勝利した後に造られた公園だそうで、戦いの攻防のレリーフや1780年に造られた石組の「満年橋」が保存されている。墓碑もあったが年代が1700年代以降のだった。

坂を下ったところにある「霊山石氷庫」

「南山護国公園」護国の塔

戦いの攻防レリーフ

1780年に造られた石組の「満年橋」が保存
25分ほど車で戻り、16時に釜谷(ブコク)温泉に着く。1987年頃の「元湯(ワンタン)旅館」の写真を見せながら地元の方に何度か聞いてようやく見つけた。湯元旅館の名はそのままで1999年に古い元の旅館は壊して立て替えたという。オーナーは申氏の子息だという。そこに泊まることにして40,000ウォンを支払う。311号室の部屋に荷物を置き、近所を散策する。湯元らしく隣接して「釜谷温泉碑」があり、周囲は足湯などがある公園になっている。

1987年頃の「元湯(ワンタン)旅館」の写真

新しくなった現在の「元湯(ワンタン)旅館」

オンドル部屋

バストイレ(天然の温泉)

館内に掲げられていた

隣接して「釜谷温泉碑」

公園には足湯がある

釜谷温泉街
釜谷温泉は、釜山の北西約50kmのところの1975年に開発された新興温泉地である。かつての水田地帯を開発して、在日韓国人の申鉉澤が8年を要して20度の微温泉を掘削して以来、1972年12月に温泉源を掘り当て、1973年には地下120mから75度の温泉を掘り当て、共同浴場「元湯旅館」を開業。1979年に、1984年には95本の源泉17軒の旅館が誕生。1979年には一大レジャーセンター「釜谷ハワイ」が創業者慶尚南道出身の在日韓国人裴鐘城氏によって誕生した。釜谷の近くで1926年生まれ、のちに単身渡日した父を追って日本で事業に成功する。そこで祖国のためにと1966年に開業した日本の常磐ハワイアンセンター(後のスパリゾートハワイアンズ)にヒントを得て、「庶民に安く楽しく」をモットーに毎年新しい施設を造り客足を伸ばしてきた。釜谷温泉には年間350~400万人、釜谷ハワイに入場者数は90万人(2001年)といわれる。観光客の推移は山村順次著「世界の温泉地」大門堂刊によると、1973年5万人、1984年257万人(内釜谷ハワイは238万人)の記録。

釜谷ハワイの正面

入り口

釜谷ハワイ園内
釜谷ハワイに行き様子を聞くと、ショータイムが毎日11時、14時、16時30分~1時間だ。それでは明日9時から入館する予定ではショーがみられない。急遽16,000ウォンを支払って入館することにした。日本語を話す受付嬢に本日の入場者数は409人、土・休日はそんなもんだということ、平日はもっと少ないこと、年間の入場者数は20万人くらいらしいこと。一時は年間1,000万人という記録が信じられないほどの変わりようだ。ショータイムの内容は、中国雑技団のようだ。観客数を見渡して驚いた。広大ないす席にわずか4~50人というところだ。遊園地、高台のツツジ公園なども見に行ったが観光客はちらほら。

ショー会場


中国雑技団の演技か?
スパ施設の写真をとろうと最終時間の17時00分まで粘ってみる。会場の形は、ドームのメインに帆船を対置し隣接して緑と赤のウオータースライダーがあり日本のスパリゾートハワイアンズとそっくりだ。各施設の写真撮影を試み、浴室の撮影を狙っていたが、入場者が少ないとはいえ、いつもお客が入浴中なので、終業時間の19時まで待ってようやく清掃中の浴室の撮影を果たした。夕暮れの敷地面積20万坪といわれる広大なリゾート地にわずか50人足らずの入場者がちらほら見える場面にうら寂しさを感じる。とうとうホテルに水泳パンツをとりに行く暇もなく、スパ私設や浴室を利用できずに「釜谷ハワイ」を出た。



園内のスパ施設(日本のスパリゾートハワイズによく似ている)

大浴場

屋外のスパ施設

最奥にある公園には、地獄路がある。

楽しみに来る子供たちに見せるのだろうか?

遊園地の入り口
夕食は、「元湯旅館」の場所を最後に訪ねた食堂にて一人でとることにした。家族ずれが食べている海鮮鉄板焼きのような料理を指差して注文、各種キムチとで美味しくいただく。財布を覗いてみると韓国紙幣が足りないことにぎょっとする。あわてず騒がず、朴さんを携帯電話で呼び出し、店の主人に対応をしてもらう。結局、明日の朝食もここで食べることにしてホテルへ帰る。

夕食を食べた食堂

食堂の店内

海鮮鉄板焼きのような料理を指差して注文
夕方、フロントでチェックインする時に、朴さんが「地下にサウナが無料で利用できるからね」といっていたので、サウナだけかと思っていたが、実は立派な大浴場があった。広い浴室にはリハビリ用なのか深く長い浴槽、高低温に仕切られた浴槽、サウナやアカスリ場もある。更衣室には、オーナーの趣味なのかいくつもの銘石が展示されている。源泉は78度の硫黄泉は韓国一の高温。効能は、神経痛、胃腸病、皮膚病、便秘、痔疾、婦人病、水虫など。

元湯旅館の地下一階にある大浴場

温泉玉子を売っている

元湯旅館のロビー
翌日、コムタンの朝食を済ませて、北上して蜜陽市にある韓国の三大名楼といわれる嶺南楼(ヨンナンリュウ)へ行く。新羅慶徳王(742~765年)にこの場所にあった嶺南寺の付属楼門に由来し、1365年にさらに楼を高く新築し嶺南楼と名づけた。現在の楼は、1843年に改築した。洛東江の支流の蜜陽江川の絶壁の上にある景観が素晴らしい。

韓国の三大名楼といわれる嶺南楼(ヨンナンリュウ)


1843年に改築した嶺南楼
その後は釜山に一気に車を進める。朴氏は数年前までは、300人の従業員を抱える中企業の社長業だったがリーマンショックの影響か、数億円の不渡りを出し生活環境は変わってしまった。今は技術の進んでいるソーラーシステムの普及に関わっているという。私がうなぎを食べたいというと「お昼は自分が付き合っている元日本語ガイドをしていた彼女を誘って一緒に食事でよいか?しばらく日本語を使っていないので彼女にとってもありがたい」というので喜んで了承した。本日宿泊予定の釜山駅近くのコリアモーテル(室料50,000ウォン)に荷を降ろしてから、彼女と合流し、20数年ぶりの海雲台(へウンデ)温泉に行ってみることになった。高速自動車道で北東へ15km離れた海雲台へ向かうが、日曜日で大変混雑している。天気がよいので海岸にはテントを張ったりして海遊びの人々で賑わっている。海沿いのレストランはいずれも満席で賑々しい。松亭海岸(ソンズアン へーアン)のレストランで全長20センチほどのうなぎの一種という「コンジャンア」を小さく刻んで野菜との鉄板焼きを食べる。こりこりとした食感でそう美味しいものではなかった。海雲台温泉は、大型ホテルが海辺に並ぶ韓国の代表的リゾート地で夏には海水浴場として全国から数十万人が押し寄せる。今日の海雲台温泉の開発は、日本人医師・和田野茂氏らによる。1905~6年頃、海雲台の田圃を買収し、手堀の井戸を掘って浴場を造った。その頃は泉温が低く、1911年巌永米吉氏らが地下10mほどを堀削に成功し52度の泉源を得て温泉場の基礎を作った。食塩とラジウムを含むアルカリ性単純泉で効能は、神経痛、リウマチ、皮膚病、動脈硬化症、高血圧症など。

海雲台海岸(温泉)

松亭海岸

海に面したこうした食堂が多い

うなぎの一種という「コンジャンア」の鉄板焼き
夕食は、韓国料理はもう沢山だと釜山ロッテ百貨店光復店(南浦)に行く。10階フロアの日本料理店が何店舗かあり、「レストランこんぴら」で12,000ウォンの握りずし・讃岐うどんセットをいただいた。ここの二人のウェイトレスは就業時間が21時らしかったが、20時52分頃に私服に着替えて帰っていった。客が2組しかいないので暇だからか?ここからは釜山駅近くのホテル「コリアンモーテル」までの1kmをぶらぶら歩いて帰った。これまでの宿泊ホテルで一番グレイドが高かった。広く内装がしっかりしていて、浴槽はジャグジーが付いていた。インターネット接続のパソコンも完備だ。

ロッテ百貨店の日本食レストランで

釜山駅近くにあるコリアンモーテル・洋室

浴室
翌日、6時に朴さんに迎えに来てもらい、釜山空港直前のお土産店でおみやげに韓国カタツムリコスメなどを購入。今回の釜山近郊温泉めぐりで、4ヶ所の温泉場に行き、3ヶ所の温泉に入浴することができた。海外温泉57~59ヶ所目の温泉入浴だった。
旅と温泉の相談室アスパサービスhttp://www.a-spa.co.jp/
まつの家の温泉尽くしの1日http://www.a-spa.co.jp/matunoke/index.html
ペットと泊まる温泉宿 http://www.a-spa.co.jp/pet/
エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
温泉水サーチhttp://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/search.html
旧街道をあるく旅 http://aaspa.web.fc2.com/index-tabi.html
冷え性対策に!田口式健康サポーターhttp://www.a-spa.co.jp/taguti/
温泉グッズ 譲ります、譲ってください。http://www.a-spa.co.jp/mania/index.html

釜谷(ブコク)温泉「釜谷ハワイ」入り口
2012年4月28日14時、東萊温泉を出発し、馬金山温泉を取材した後、次の取材先の霊山(レサン)に向かう。朴さんも初めての場所らしく何度も聞きながらの運転だ。ラクトンガン川を渡った先に大きな田圃を作っているのかな?と聞くと「セリの栽培だよ」と朴さん。国道1008号線沿いの釜谷温泉を右手に見て、一旦通り過ぎ右折すると霊山の集落。14時45分、霊山の集落をすぎて右折して原生林の急坂を上ったところらしい。雄山殿というお寺の近くのようだ。下山の登山者に聞いてついに突き止めたが、霊水がでているだけで入浴施設が無いのだ。タオルを入れた袋をぶら下げて階段を上ってきた私はがっかりだ。湧出口の右手には山神を祀った祠がある。2匹の亀口から注ぎでる霊水を汲みにくる客が断続的に見える。4~5人連れのおばさんたちが「私の結婚前40年前に一度きたことがある」と言っていたよと朴さん。韓国でも有数の健康によいお水だという。歴史が古く地元では、「霊山温泉」よりは「霊山薬水」で知られる。説明書によると「韓国で一番の水。新羅時代、病気の母と息子が薪を取って生活をしていたが、生薬を飲んでも母の病気が治らなかった。あるとき息子の夢の中に白髪のおじいさんがここへ自分を呼んだところで目を覚ました。目の前の石の間から清水が湧いていた。息子は壷に入れて毎日母に飲ませ。すると次第に母の病気に効いてきた」この間、雄山殿から読経が聞こえていて、坂道をさらに登り参拝に行くとその読経はテープで流れている中、一人の若者が腰を折って礼拝をしていた。

山の中腹に登る・・・

霊山温泉が見える?


霊山温泉は入浴施設がない!

霊山温泉の隣に祠が・・・

さらに登ると雄山殿から読経が聞こえていて・・・

雄山殿から霊山集落を望む
坂を下ったところにある「霊山石氷庫」がある公園と河原にそって造られた「南山護国公園」に立ち寄る。1592年に豊臣秀吉に攻められた時に勝利した後に造られた公園だそうで、戦いの攻防のレリーフや1780年に造られた石組の「満年橋」が保存されている。墓碑もあったが年代が1700年代以降のだった。

坂を下ったところにある「霊山石氷庫」

「南山護国公園」護国の塔

戦いの攻防レリーフ

1780年に造られた石組の「満年橋」が保存
25分ほど車で戻り、16時に釜谷(ブコク)温泉に着く。1987年頃の「元湯(ワンタン)旅館」の写真を見せながら地元の方に何度か聞いてようやく見つけた。湯元旅館の名はそのままで1999年に古い元の旅館は壊して立て替えたという。オーナーは申氏の子息だという。そこに泊まることにして40,000ウォンを支払う。311号室の部屋に荷物を置き、近所を散策する。湯元らしく隣接して「釜谷温泉碑」があり、周囲は足湯などがある公園になっている。

1987年頃の「元湯(ワンタン)旅館」の写真

新しくなった現在の「元湯(ワンタン)旅館」

オンドル部屋

バストイレ(天然の温泉)

館内に掲げられていた

隣接して「釜谷温泉碑」

公園には足湯がある

釜谷温泉街
釜谷温泉は、釜山の北西約50kmのところの1975年に開発された新興温泉地である。かつての水田地帯を開発して、在日韓国人の申鉉澤が8年を要して20度の微温泉を掘削して以来、1972年12月に温泉源を掘り当て、1973年には地下120mから75度の温泉を掘り当て、共同浴場「元湯旅館」を開業。1979年に、1984年には95本の源泉17軒の旅館が誕生。1979年には一大レジャーセンター「釜谷ハワイ」が創業者慶尚南道出身の在日韓国人裴鐘城氏によって誕生した。釜谷の近くで1926年生まれ、のちに単身渡日した父を追って日本で事業に成功する。そこで祖国のためにと1966年に開業した日本の常磐ハワイアンセンター(後のスパリゾートハワイアンズ)にヒントを得て、「庶民に安く楽しく」をモットーに毎年新しい施設を造り客足を伸ばしてきた。釜谷温泉には年間350~400万人、釜谷ハワイに入場者数は90万人(2001年)といわれる。観光客の推移は山村順次著「世界の温泉地」大門堂刊によると、1973年5万人、1984年257万人(内釜谷ハワイは238万人)の記録。

釜谷ハワイの正面

入り口

釜谷ハワイ園内
釜谷ハワイに行き様子を聞くと、ショータイムが毎日11時、14時、16時30分~1時間だ。それでは明日9時から入館する予定ではショーがみられない。急遽16,000ウォンを支払って入館することにした。日本語を話す受付嬢に本日の入場者数は409人、土・休日はそんなもんだということ、平日はもっと少ないこと、年間の入場者数は20万人くらいらしいこと。一時は年間1,000万人という記録が信じられないほどの変わりようだ。ショータイムの内容は、中国雑技団のようだ。観客数を見渡して驚いた。広大ないす席にわずか4~50人というところだ。遊園地、高台のツツジ公園なども見に行ったが観光客はちらほら。

ショー会場


中国雑技団の演技か?
スパ施設の写真をとろうと最終時間の17時00分まで粘ってみる。会場の形は、ドームのメインに帆船を対置し隣接して緑と赤のウオータースライダーがあり日本のスパリゾートハワイアンズとそっくりだ。各施設の写真撮影を試み、浴室の撮影を狙っていたが、入場者が少ないとはいえ、いつもお客が入浴中なので、終業時間の19時まで待ってようやく清掃中の浴室の撮影を果たした。夕暮れの敷地面積20万坪といわれる広大なリゾート地にわずか50人足らずの入場者がちらほら見える場面にうら寂しさを感じる。とうとうホテルに水泳パンツをとりに行く暇もなく、スパ私設や浴室を利用できずに「釜谷ハワイ」を出た。



園内のスパ施設(日本のスパリゾートハワイズによく似ている)

大浴場

屋外のスパ施設

最奥にある公園には、地獄路がある。

楽しみに来る子供たちに見せるのだろうか?

遊園地の入り口
夕食は、「元湯旅館」の場所を最後に訪ねた食堂にて一人でとることにした。家族ずれが食べている海鮮鉄板焼きのような料理を指差して注文、各種キムチとで美味しくいただく。財布を覗いてみると韓国紙幣が足りないことにぎょっとする。あわてず騒がず、朴さんを携帯電話で呼び出し、店の主人に対応をしてもらう。結局、明日の朝食もここで食べることにしてホテルへ帰る。

夕食を食べた食堂

食堂の店内

海鮮鉄板焼きのような料理を指差して注文
夕方、フロントでチェックインする時に、朴さんが「地下にサウナが無料で利用できるからね」といっていたので、サウナだけかと思っていたが、実は立派な大浴場があった。広い浴室にはリハビリ用なのか深く長い浴槽、高低温に仕切られた浴槽、サウナやアカスリ場もある。更衣室には、オーナーの趣味なのかいくつもの銘石が展示されている。源泉は78度の硫黄泉は韓国一の高温。効能は、神経痛、胃腸病、皮膚病、便秘、痔疾、婦人病、水虫など。

元湯旅館の地下一階にある大浴場

温泉玉子を売っている

元湯旅館のロビー
翌日、コムタンの朝食を済ませて、北上して蜜陽市にある韓国の三大名楼といわれる嶺南楼(ヨンナンリュウ)へ行く。新羅慶徳王(742~765年)にこの場所にあった嶺南寺の付属楼門に由来し、1365年にさらに楼を高く新築し嶺南楼と名づけた。現在の楼は、1843年に改築した。洛東江の支流の蜜陽江川の絶壁の上にある景観が素晴らしい。

韓国の三大名楼といわれる嶺南楼(ヨンナンリュウ)


1843年に改築した嶺南楼
その後は釜山に一気に車を進める。朴氏は数年前までは、300人の従業員を抱える中企業の社長業だったがリーマンショックの影響か、数億円の不渡りを出し生活環境は変わってしまった。今は技術の進んでいるソーラーシステムの普及に関わっているという。私がうなぎを食べたいというと「お昼は自分が付き合っている元日本語ガイドをしていた彼女を誘って一緒に食事でよいか?しばらく日本語を使っていないので彼女にとってもありがたい」というので喜んで了承した。本日宿泊予定の釜山駅近くのコリアモーテル(室料50,000ウォン)に荷を降ろしてから、彼女と合流し、20数年ぶりの海雲台(へウンデ)温泉に行ってみることになった。高速自動車道で北東へ15km離れた海雲台へ向かうが、日曜日で大変混雑している。天気がよいので海岸にはテントを張ったりして海遊びの人々で賑わっている。海沿いのレストランはいずれも満席で賑々しい。松亭海岸(ソンズアン へーアン)のレストランで全長20センチほどのうなぎの一種という「コンジャンア」を小さく刻んで野菜との鉄板焼きを食べる。こりこりとした食感でそう美味しいものではなかった。海雲台温泉は、大型ホテルが海辺に並ぶ韓国の代表的リゾート地で夏には海水浴場として全国から数十万人が押し寄せる。今日の海雲台温泉の開発は、日本人医師・和田野茂氏らによる。1905~6年頃、海雲台の田圃を買収し、手堀の井戸を掘って浴場を造った。その頃は泉温が低く、1911年巌永米吉氏らが地下10mほどを堀削に成功し52度の泉源を得て温泉場の基礎を作った。食塩とラジウムを含むアルカリ性単純泉で効能は、神経痛、リウマチ、皮膚病、動脈硬化症、高血圧症など。

海雲台海岸(温泉)

松亭海岸

海に面したこうした食堂が多い

うなぎの一種という「コンジャンア」の鉄板焼き
夕食は、韓国料理はもう沢山だと釜山ロッテ百貨店光復店(南浦)に行く。10階フロアの日本料理店が何店舗かあり、「レストランこんぴら」で12,000ウォンの握りずし・讃岐うどんセットをいただいた。ここの二人のウェイトレスは就業時間が21時らしかったが、20時52分頃に私服に着替えて帰っていった。客が2組しかいないので暇だからか?ここからは釜山駅近くのホテル「コリアンモーテル」までの1kmをぶらぶら歩いて帰った。これまでの宿泊ホテルで一番グレイドが高かった。広く内装がしっかりしていて、浴槽はジャグジーが付いていた。インターネット接続のパソコンも完備だ。

ロッテ百貨店の日本食レストランで

釜山駅近くにあるコリアンモーテル・洋室

浴室
翌日、6時に朴さんに迎えに来てもらい、釜山空港直前のお土産店でおみやげに韓国カタツムリコスメなどを購入。今回の釜山近郊温泉めぐりで、4ヶ所の温泉場に行き、3ヶ所の温泉に入浴することができた。海外温泉57~59ヶ所目の温泉入浴だった。
旅と温泉の相談室アスパサービスhttp://www.a-spa.co.jp/
まつの家の温泉尽くしの1日http://www.a-spa.co.jp/matunoke/index.html
ペットと泊まる温泉宿 http://www.a-spa.co.jp/pet/
エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
温泉水サーチhttp://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/search.html
旧街道をあるく旅 http://aaspa.web.fc2.com/index-tabi.html
冷え性対策に!田口式健康サポーターhttp://www.a-spa.co.jp/taguti/
温泉グッズ 譲ります、譲ってください。http://www.a-spa.co.jp/mania/index.html
韓国・釜山周辺の温泉地を訪ねて その1. 東萊温泉、馬金山温泉へ。 [海外のはなし]
釜山周辺の温泉地を訪ねて その1. 東萊温泉、馬金山温泉へ。2012年4月27日~30日

地下鉄・東萊(トンネ)温泉場駅近くにある「東萊(トンネ)温泉丼紀年碑」
韓国の釜山近郊には温泉がいくつかある。かつて韓国で唯一海岸にある温泉、海雲台温泉(ヘウンデチュオン)には、入浴したことがあるが、中心地にある東萊(トンネ)温泉は未入浴だった。今回、釜山郊外にある「釜谷(ブコク)温泉」「馬金山(マグマサン)温泉」「霊山(レサン」温泉」にも入浴したい。航空券はネット購入、4月27日(金)出発24,000円でゲット、3泊4日の日程とした。 初日の宿は、ネットで日本語ができるスタッフが居るという東萊温泉「泉一温泉(チョニルオンチョン)」に予約。45,000ウォン(日本円で約3,465円)翌日は釜山駅に戻り、鉄道で昌原(チャンウォン)まで75分、そこでバスに乗り換えて20分で馬金山温泉(マグムサン)へ行く。3日目は、タクシーで霊山温泉、釜谷温泉に立ち寄りながら、釜山市内のホテルに宿泊の予定。帰国の便は、8時00分出発、6時00分集合であわただしい帰国時間だ。
JAL969便の成田発は、時間帯が混雑してしばらく待たされ、20分ほど遅れて釜山空港に着く。到着口にはタクシーの客引きに声をかけられる。観光案内所で聞くと東萊温泉まで3~35,000ウォンらしいので結局、朴振寛(パクチンクァン)氏に30,000ウォンで任せることにした。途中渋滞があったが40分ほどで到着。東萊温泉の泉一温泉(チョニルオンチョン)では、この時間帯日本語がわかるスタッフがいなくて対応が素っ気ない。宿泊料は先払いで45,000ウォンを支払い710号室のルームキーを受け取る。オンドル部屋で床が暖かくなかったので711号室に変更。浴室は広く湯船はタイル造り。1・5×2m×深さ55センチ位。泉質は口に含んでみると無味無臭、だが過去に入浴した人の話では食塩の味がするというので食塩泉か?オンドル部屋は板張りの10畳ほどの広さか?薄い布団に布団カバーのような掛け布団、丸い2個の枕、扇風機、非常用梯子、ミネラルウオーターが2本入っている冷蔵庫がある。オンドルが熱すぎて窓を開けて寝たら風邪を引いたという声を聞いたので要注意だ。しばらく日本のBS2チャンネルを見て過ごす。1階に併設して日帰り入浴施設「泉一湯」があり、宿泊者は無料で利用できる。明日は1泊2日で朴さんの車で3カ所の温泉巡りと観光を任せて30,000円で頼んだ。

泉一温泉(チョニルオンチョン)

泉一温泉(チョニルオンチョン)フロント、隣接して1階に日帰り入浴施設がある

オンドル部屋

部屋に吊り下げられる非常梯子だが、使い方が解らない・・・

部屋の浴室と浴槽(天然温泉)

部屋から見える東萊温泉の街
4月28日、朝6時に散策にでる。ホテルの近くに足湯の公園があったが、ロープがかかっていて使われていないようだ。虚心聽をと通りすぎて地下鉄温泉場駅へ。大通りから駅へ右折する小道には、温泉マークの着いた旅荘やホテルが建ち並び、「宮殿荘」と日本語の宿名もあった。温泉場駅の名の切符を購入したかったが、自動販売機で買い方がわからずにあきらめた。しばらく地下鉄のガード下に続く遊歩道を歩く。200m毎に遊歩道からあがる階段がある。駅前の大通りの対面のビル「HINA798」の一階外に石造りの「東萊(トンネ)温泉丼紀年碑」があった。

近くにあった足湯公園

地下鉄の温泉場駅

地下鉄に沿って遊歩道が完備されている

駅の大通りの対面にある石造りの「トンネ温泉丼紀年碑」
戻って虚心庁の隣あたりにふぐちりの店で有名な「クムスポックク温泉場店」で「ポックク」セットを食べる。12,000ウォン。ウェイトレス嬢は、忙しい時間帯を過ごし一息着いたのか、客に見えるところで堂々とお水かお茶を飲んでいた。日本との文化の違いの一端か?

ふぐちりの店で有名な「クムスポックク温泉場店」

店内

「ポックク」セットを食べる
虚心庁を左折すると高級ホテルの「ホテル農心」、そこでトイレを借り、パンフレットをもらう。トイレの紙の設置が日本と逆なのに気づく。


「ホテル農心」
さらに西へ歩くと日本統治時代に韓国にすむ日本人で釜山財閥迫間(ハザマ)房太郎が1920年代に造った「東萊別荘」を訪ねる。現在は豪華な韓定食を食べさせる食堂になっている。敷地がとても広く二階建て日本家屋に何かほっとさせる。

日本人が1920年代に造った「東萊別荘」入り口


今は、豪華な韓定食を出す食堂になっている「東萊別荘」
虚心庁(ホシムチョン)に入浴のために入館。4つのホテルに繋がった日帰り入浴施設で40の浴槽があり、同時に3,000人が入浴できるという。一階のロビーは吹き抜けで明るくレストランやパン・菓子店が並んでいる。5階フロアで入浴券(10,000ウォン)を購入。 裸で男女別浴室は広く大変豪華なのに驚く。打たせ湯、ジェットバス、寝湯、ローズ湯、牛乳風呂などいくつもの浴槽があり、右手にだれも入浴していない古代檜造りの湯船に足を入れようとしたら熱い!45度の温度設定になっている。1分我慢するのも大変。中央のドーム内側の装飾が見事だ。日本でいう漆喰造りのようで東萊温泉の由来を絵で描いたものか?ただじっとよく見ると同じ絵柄を8枚つなげたものだとわかる。中二階にはサウナが2ヶ所ある。平日の土・休日の入浴料は高めで平日は8,000ウォン。韓国人は朝風呂が好んでいるようで8時以前の入浴料は、2,000ウォンそれぞれ安く設定されている。東萊温泉は、釜山の北西約50kmにある金井山(標高800m)の麓にある韓国で最古の温泉。7世紀の新羅王朝時代にすでに「慶州の王侯たちが東萊地方に下ってきて入浴した」と文献に残る。「昔、足の悪い老婆が住んでいた村の田圃に、鶴が一羽飛んできて足を引きずりながら動き回っていた。やがてひとところにじっとして3日目には足が治って飛び去った。老婆はそれを真似て足を湯につけてみると痛みがすっかり消えていた」また、鹿が出て・・という伝説もある。虚心庁の由来の絵のそれである。泉質は45~56度の弱アルカリ性食塩泉。神経痛、中風、切り傷、便秘症、痔疾、消化器病などの効能。


虚心庁

虚心庁の豪華の雰囲気の1階フロア

虚心庁の3階フロアフロント

昔の東萊(トンネ)共同浴場

虚心庁大浴場(パンフレットから)

虚心庁大浴場(パンフレットから)
9時に朴さんが迎えにきた。まずは10km北にある釜山で有名な新羅時代の高僧義湘大師が西暦678年に創建したといわれる梵魚寺(ボモサ)に行く。の南門の麓に金剛公園があり、金井山城に登るハイキングの人々と相まって相当な賑わいだ。門の一部が放火によって消失し工事中の場所もあり残念。右から迂回して本殿・大雄殿などを見て回る。大雄殿の左にある三層石塔だけが新羅時代のものという。いずれの堂も参拝者やお坊さんの真剣な読経の様子が見られ、日本とはちょっと違いを感じる。

梵魚寺(ボモサ)山門


梵魚寺の観音殿

梵魚寺の大雄殿
高速自動車道に乗り、釜山経由で西方、馬金山(マグムサン)へ向かう。私は眠くなって1時間ほど助手席で居眠りを許してもらう。天馬山(320m)と馬金山(260m)の麓に馬金山温泉がある。発見伝説がいくつかある。「昔このあたりに天馬がいて、その馬がたくさんの馬を引き寄せ、遊び疲れると近くに流れる洛東川に他の馬を連れてきて水を飲ませ、天に帰って行った。馬金山には今でもそのときの天馬の足跡が残っている」という。15世紀に編纂された「東国興地勝覧」の記述に「朝鮮王朝初期(約500~600年前)の大宋時代、馬金山渓谷で薬水が湧きだし付近の人はその水で沐浴や飲用で利用していた。やがてその水が皮膚病や神経痛に効くことが判り、全国から大勢の患者が押し寄せた。やってきた人たちが勝手に寝たり、物乞いをしたりして村人の多くの迷惑をかけたので、村人は大きな石でこの薬水を覆ってしまった。その後温泉の話は忘れられ、1900年初頭の日本統治時代に馬金山付近に至る道路ができた頃、馬山市に住む日本人医師・徳永吾一氏が伝説を頼りに温泉の調査を開始。1918~1920年にかけてボーリングを行い1924年揚水に成功。山荘を建てて営業を始めた。これが馬金山温泉発展の起源だ。(韓国温泉の意味・情報センター刊・著者:藤木憲幸・1987年)又、「もう100年前、温水は悪魔の水といわれていた。当時皮膚病で苦しんでいたある老婆が『どうせ治らないなら、いつか死ぬことには変わりがないのだから、せめて楽になって死のう』そう言って悪魔の水に入っていった。ところが死ぬどころかいつも泣かされていた皮膚病がすっかり治っていた。その話を聞きつけた日本人がいた。彼は温泉を掘り、小屋を建てて治療所を作って、多くの人の病気を治して大金を得て日本へ帰っていった」いずれにしても諸病の改善に絶大の効果を得たことは確かだ。

馬金山温泉

馬金山温泉

馬金山温泉
さて初期の温泉宿営業をはじめたという1987年当時にあったという平屋木造建築の「馬金山荘」を探した。真新しい温泉ホテルが立ち並ぶ地域に車を止め、朴さんに「馬金山荘」の写真を見せながら、今どこにあるのかを聞いてもらった。行政によって観光地振興の目的で造られた足湯のおばさん、露天で薬草などを販売しているおじさん、最後に聞いたザムホテルのオーナーに聞いてようやく判った。「馬金山荘」はすでに無く新築になった「天馬山荘」の隣で30年前(1982年頃)に取り壊され日帰り入浴施設といて新築された。持参した古い資料の写真は1,987年頃の写真なので、20数年前の間違いか。1,990年頃に取り壊されたのだろうか。今も同じ名前で入浴施設として営業している。

持参した1987年頃の木造建築「馬金山荘」

20数年前に新築なった「馬金山荘」、今は日帰り入浴施設
隣接した「天馬山荘」を訪ねた。10年前に改装したという内外装は真新しい。40年前に建てられた建物だという。ということは古い写真の建物の建築は、1972年ということか。馬金山温泉は、55度の鉄分・マンガンを含む弱アルカリ性食塩泉で胃腸病などの消化器病、皮膚病、糖尿病、肥満、慢性気管支炎、咽頭症、腰痛、坐骨神経痛、潜水病などに効能あり。温泉旅館・ホテルは約40軒あり、主要な宿は敷地内からの湯を引いているという。昔からここの湯は「杖を捨てて帰る馬金山」といわれた。天馬山荘で入浴料5,000ウォンを支払って入浴する。浴室の奥には15×2~2.5mの湯船を高・低温の2ヶ所に仕切っている。高めに湯船の壁に1930年代の平屋木造建ての天馬山荘の写真を展示している。露天風呂はガラス天窓付きでなかなかハイカラな雰囲気だ。

10年前にリニューアルした「天馬山荘」

「天馬山荘」の1972年頃の写真

「天馬山荘」のロビー

「天馬山荘」のオンドル部屋
浴後、露店のある通りの一角にあるテント造りの食堂で豆腐とチャンチェコクス(そーめん)を食べた。朴さんは牛の血の塊が入ったセンジコクスを選んだ。足湯に朴さんが入るというのでしばらく待った。足湯の形が韓国語で足湯の字の形なのだろうか。

馬金山温泉の足湯

馬金山温泉の足湯
旅と温泉の相談室アスパサービスhttp://www.a-spa.co.jp/
まつの家の温泉尽くしの1日http://www.a-spa.co.jp/matunoke/index.html
ペットと泊まる温泉宿 http://www.a-spa.co.jp/pet/
エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
温泉水サーチhttp://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/search.html
旧街道をあるく旅 http://aaspa.web.fc2.com/index-tabi.html
冷え性対策に!田口式健康サポーターhttp://www.a-spa.co.jp/taguti/
温泉グッズ 譲ります、譲ってください。http://www.a-spa.co.jp/mania/index.html

地下鉄・東萊(トンネ)温泉場駅近くにある「東萊(トンネ)温泉丼紀年碑」
韓国の釜山近郊には温泉がいくつかある。かつて韓国で唯一海岸にある温泉、海雲台温泉(ヘウンデチュオン)には、入浴したことがあるが、中心地にある東萊(トンネ)温泉は未入浴だった。今回、釜山郊外にある「釜谷(ブコク)温泉」「馬金山(マグマサン)温泉」「霊山(レサン」温泉」にも入浴したい。航空券はネット購入、4月27日(金)出発24,000円でゲット、3泊4日の日程とした。 初日の宿は、ネットで日本語ができるスタッフが居るという東萊温泉「泉一温泉(チョニルオンチョン)」に予約。45,000ウォン(日本円で約3,465円)翌日は釜山駅に戻り、鉄道で昌原(チャンウォン)まで75分、そこでバスに乗り換えて20分で馬金山温泉(マグムサン)へ行く。3日目は、タクシーで霊山温泉、釜谷温泉に立ち寄りながら、釜山市内のホテルに宿泊の予定。帰国の便は、8時00分出発、6時00分集合であわただしい帰国時間だ。
JAL969便の成田発は、時間帯が混雑してしばらく待たされ、20分ほど遅れて釜山空港に着く。到着口にはタクシーの客引きに声をかけられる。観光案内所で聞くと東萊温泉まで3~35,000ウォンらしいので結局、朴振寛(パクチンクァン)氏に30,000ウォンで任せることにした。途中渋滞があったが40分ほどで到着。東萊温泉の泉一温泉(チョニルオンチョン)では、この時間帯日本語がわかるスタッフがいなくて対応が素っ気ない。宿泊料は先払いで45,000ウォンを支払い710号室のルームキーを受け取る。オンドル部屋で床が暖かくなかったので711号室に変更。浴室は広く湯船はタイル造り。1・5×2m×深さ55センチ位。泉質は口に含んでみると無味無臭、だが過去に入浴した人の話では食塩の味がするというので食塩泉か?オンドル部屋は板張りの10畳ほどの広さか?薄い布団に布団カバーのような掛け布団、丸い2個の枕、扇風機、非常用梯子、ミネラルウオーターが2本入っている冷蔵庫がある。オンドルが熱すぎて窓を開けて寝たら風邪を引いたという声を聞いたので要注意だ。しばらく日本のBS2チャンネルを見て過ごす。1階に併設して日帰り入浴施設「泉一湯」があり、宿泊者は無料で利用できる。明日は1泊2日で朴さんの車で3カ所の温泉巡りと観光を任せて30,000円で頼んだ。

泉一温泉(チョニルオンチョン)

泉一温泉(チョニルオンチョン)フロント、隣接して1階に日帰り入浴施設がある

オンドル部屋

部屋に吊り下げられる非常梯子だが、使い方が解らない・・・

部屋の浴室と浴槽(天然温泉)

部屋から見える東萊温泉の街
4月28日、朝6時に散策にでる。ホテルの近くに足湯の公園があったが、ロープがかかっていて使われていないようだ。虚心聽をと通りすぎて地下鉄温泉場駅へ。大通りから駅へ右折する小道には、温泉マークの着いた旅荘やホテルが建ち並び、「宮殿荘」と日本語の宿名もあった。温泉場駅の名の切符を購入したかったが、自動販売機で買い方がわからずにあきらめた。しばらく地下鉄のガード下に続く遊歩道を歩く。200m毎に遊歩道からあがる階段がある。駅前の大通りの対面のビル「HINA798」の一階外に石造りの「東萊(トンネ)温泉丼紀年碑」があった。

近くにあった足湯公園

地下鉄の温泉場駅

地下鉄に沿って遊歩道が完備されている

駅の大通りの対面にある石造りの「トンネ温泉丼紀年碑」
戻って虚心庁の隣あたりにふぐちりの店で有名な「クムスポックク温泉場店」で「ポックク」セットを食べる。12,000ウォン。ウェイトレス嬢は、忙しい時間帯を過ごし一息着いたのか、客に見えるところで堂々とお水かお茶を飲んでいた。日本との文化の違いの一端か?

ふぐちりの店で有名な「クムスポックク温泉場店」

店内

「ポックク」セットを食べる
虚心庁を左折すると高級ホテルの「ホテル農心」、そこでトイレを借り、パンフレットをもらう。トイレの紙の設置が日本と逆なのに気づく。


「ホテル農心」
さらに西へ歩くと日本統治時代に韓国にすむ日本人で釜山財閥迫間(ハザマ)房太郎が1920年代に造った「東萊別荘」を訪ねる。現在は豪華な韓定食を食べさせる食堂になっている。敷地がとても広く二階建て日本家屋に何かほっとさせる。

日本人が1920年代に造った「東萊別荘」入り口


今は、豪華な韓定食を出す食堂になっている「東萊別荘」
虚心庁(ホシムチョン)に入浴のために入館。4つのホテルに繋がった日帰り入浴施設で40の浴槽があり、同時に3,000人が入浴できるという。一階のロビーは吹き抜けで明るくレストランやパン・菓子店が並んでいる。5階フロアで入浴券(10,000ウォン)を購入。 裸で男女別浴室は広く大変豪華なのに驚く。打たせ湯、ジェットバス、寝湯、ローズ湯、牛乳風呂などいくつもの浴槽があり、右手にだれも入浴していない古代檜造りの湯船に足を入れようとしたら熱い!45度の温度設定になっている。1分我慢するのも大変。中央のドーム内側の装飾が見事だ。日本でいう漆喰造りのようで東萊温泉の由来を絵で描いたものか?ただじっとよく見ると同じ絵柄を8枚つなげたものだとわかる。中二階にはサウナが2ヶ所ある。平日の土・休日の入浴料は高めで平日は8,000ウォン。韓国人は朝風呂が好んでいるようで8時以前の入浴料は、2,000ウォンそれぞれ安く設定されている。東萊温泉は、釜山の北西約50kmにある金井山(標高800m)の麓にある韓国で最古の温泉。7世紀の新羅王朝時代にすでに「慶州の王侯たちが東萊地方に下ってきて入浴した」と文献に残る。「昔、足の悪い老婆が住んでいた村の田圃に、鶴が一羽飛んできて足を引きずりながら動き回っていた。やがてひとところにじっとして3日目には足が治って飛び去った。老婆はそれを真似て足を湯につけてみると痛みがすっかり消えていた」また、鹿が出て・・という伝説もある。虚心庁の由来の絵のそれである。泉質は45~56度の弱アルカリ性食塩泉。神経痛、中風、切り傷、便秘症、痔疾、消化器病などの効能。


虚心庁

虚心庁の豪華の雰囲気の1階フロア

虚心庁の3階フロアフロント

昔の東萊(トンネ)共同浴場

虚心庁大浴場(パンフレットから)

虚心庁大浴場(パンフレットから)
9時に朴さんが迎えにきた。まずは10km北にある釜山で有名な新羅時代の高僧義湘大師が西暦678年に創建したといわれる梵魚寺(ボモサ)に行く。の南門の麓に金剛公園があり、金井山城に登るハイキングの人々と相まって相当な賑わいだ。門の一部が放火によって消失し工事中の場所もあり残念。右から迂回して本殿・大雄殿などを見て回る。大雄殿の左にある三層石塔だけが新羅時代のものという。いずれの堂も参拝者やお坊さんの真剣な読経の様子が見られ、日本とはちょっと違いを感じる。

梵魚寺(ボモサ)山門


梵魚寺の観音殿

梵魚寺の大雄殿
高速自動車道に乗り、釜山経由で西方、馬金山(マグムサン)へ向かう。私は眠くなって1時間ほど助手席で居眠りを許してもらう。天馬山(320m)と馬金山(260m)の麓に馬金山温泉がある。発見伝説がいくつかある。「昔このあたりに天馬がいて、その馬がたくさんの馬を引き寄せ、遊び疲れると近くに流れる洛東川に他の馬を連れてきて水を飲ませ、天に帰って行った。馬金山には今でもそのときの天馬の足跡が残っている」という。15世紀に編纂された「東国興地勝覧」の記述に「朝鮮王朝初期(約500~600年前)の大宋時代、馬金山渓谷で薬水が湧きだし付近の人はその水で沐浴や飲用で利用していた。やがてその水が皮膚病や神経痛に効くことが判り、全国から大勢の患者が押し寄せた。やってきた人たちが勝手に寝たり、物乞いをしたりして村人の多くの迷惑をかけたので、村人は大きな石でこの薬水を覆ってしまった。その後温泉の話は忘れられ、1900年初頭の日本統治時代に馬金山付近に至る道路ができた頃、馬山市に住む日本人医師・徳永吾一氏が伝説を頼りに温泉の調査を開始。1918~1920年にかけてボーリングを行い1924年揚水に成功。山荘を建てて営業を始めた。これが馬金山温泉発展の起源だ。(韓国温泉の意味・情報センター刊・著者:藤木憲幸・1987年)又、「もう100年前、温水は悪魔の水といわれていた。当時皮膚病で苦しんでいたある老婆が『どうせ治らないなら、いつか死ぬことには変わりがないのだから、せめて楽になって死のう』そう言って悪魔の水に入っていった。ところが死ぬどころかいつも泣かされていた皮膚病がすっかり治っていた。その話を聞きつけた日本人がいた。彼は温泉を掘り、小屋を建てて治療所を作って、多くの人の病気を治して大金を得て日本へ帰っていった」いずれにしても諸病の改善に絶大の効果を得たことは確かだ。

馬金山温泉

馬金山温泉

馬金山温泉
さて初期の温泉宿営業をはじめたという1987年当時にあったという平屋木造建築の「馬金山荘」を探した。真新しい温泉ホテルが立ち並ぶ地域に車を止め、朴さんに「馬金山荘」の写真を見せながら、今どこにあるのかを聞いてもらった。行政によって観光地振興の目的で造られた足湯のおばさん、露天で薬草などを販売しているおじさん、最後に聞いたザムホテルのオーナーに聞いてようやく判った。「馬金山荘」はすでに無く新築になった「天馬山荘」の隣で30年前(1982年頃)に取り壊され日帰り入浴施設といて新築された。持参した古い資料の写真は1,987年頃の写真なので、20数年前の間違いか。1,990年頃に取り壊されたのだろうか。今も同じ名前で入浴施設として営業している。

持参した1987年頃の木造建築「馬金山荘」

20数年前に新築なった「馬金山荘」、今は日帰り入浴施設
隣接した「天馬山荘」を訪ねた。10年前に改装したという内外装は真新しい。40年前に建てられた建物だという。ということは古い写真の建物の建築は、1972年ということか。馬金山温泉は、55度の鉄分・マンガンを含む弱アルカリ性食塩泉で胃腸病などの消化器病、皮膚病、糖尿病、肥満、慢性気管支炎、咽頭症、腰痛、坐骨神経痛、潜水病などに効能あり。温泉旅館・ホテルは約40軒あり、主要な宿は敷地内からの湯を引いているという。昔からここの湯は「杖を捨てて帰る馬金山」といわれた。天馬山荘で入浴料5,000ウォンを支払って入浴する。浴室の奥には15×2~2.5mの湯船を高・低温の2ヶ所に仕切っている。高めに湯船の壁に1930年代の平屋木造建ての天馬山荘の写真を展示している。露天風呂はガラス天窓付きでなかなかハイカラな雰囲気だ。

10年前にリニューアルした「天馬山荘」

「天馬山荘」の1972年頃の写真

「天馬山荘」のロビー

「天馬山荘」のオンドル部屋
浴後、露店のある通りの一角にあるテント造りの食堂で豆腐とチャンチェコクス(そーめん)を食べた。朴さんは牛の血の塊が入ったセンジコクスを選んだ。足湯に朴さんが入るというのでしばらく待った。足湯の形が韓国語で足湯の字の形なのだろうか。

馬金山温泉の足湯

馬金山温泉の足湯
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旧街道歩き閑話 2. 五街道の起点は、なぜ日本橋なのか? [旧街道を歩く]
旧街道歩き閑話 2. 五街道の起点は、なぜ日本橋なのか?

絵 金森 達
東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五街道の基点がなぜ日本橋か?今回のテーマにはさらにかずかずの枝葉のテーマがある。これほど重要な基点がなぜ首都高速道によって上空を覆われ、日本橋の景観が無視されたのか?号令をかけた無粋な官僚や政治家は誰か?今議論されている日本橋再生プロジェクトで日本橋は将来どうなる、成功するのか?
徳川家康は豊臣秀吉に関東への領地替えを命じられ、江戸の地を中心地に選んだ。関東平野の中心地で交通の要所であったこと。太田道灌の江戸城以来の城下町としての起訴があったこと。隅田川河口に位置し江戸湊の水運、河川交通に優れた地であることといわれる。(玉井哲雄著「都市の計画と建設」岩波講座 日本通史第11巻近世1)1590年に入府以来、全国の大名を動員して、江戸湊という流通拠点を江戸城下に組み込む埋め立て事業を敢行する。この結果、1603年に架橋された日本橋と日本橋界隈にめぐらされた水路の発展とあいまって日本橋川と呼ばれる2kmあまりの両河岸に広がった町並みが後に江戸発展の起点となった。日本橋名の由来について、「御府内備考」に「この橋、江戸の中央にして、諸国の行程もここより定められるゆえ、日本橋の名ありといふ」との記述がある。慶長9年(1604年)五街道の制ができた時、日本橋を起点としてすべての道路を発展させようとした幕府の理念が日本橋の名になったようだ。
当時、日本橋界隈には、金貨を鋳造する金座(その跡地が日本銀行)が設置され、商業、金融、文化の中心地として発展した。天保5年(1834年)版の歌川広重「東海道五十三次・朝之景」(宝永堂)には、七つ立ち(午前4時)の活況を呈する日常の様子が描かれている。最初の日本橋は万治元年(1658年)に火災で消失、翌年架設後に日本橋名物の擬宝珠(ぎぼし)が施された。その後幾度も火災により現在の橋になるまで19回かけ直された。万治元年に飾られた擬宝珠が日本橋の南橋詰西側そばにある元禄2年(1689年)創業の漆器店「黒江屋」のショーウィンドウに飾られている。
江戸時代の史跡が現存するのが擬宝珠ひとつとは、嘆かわしいかぎりだ。何度も架け直されたとしても木橋や界隈の町並みが残っていたら、日本有数の歴史的観光資源(当然、世界遺産登録になっているはず)として日本の経済効果が発揮されたはずだ。平成12年(2000年)に旧東海道五十三次・赤坂宿を歩いたときの旅籠屋大橋屋の第19代目主人の話が忘れられない。大橋屋は慶安2年(1649年)創業で、宝永6年(1709年)再建後の建築物を一部そのまま使って営業している。東京オリンピック開業(1964年)に合わせて、首都高速道、名神高速道、新幹線(昭和39年・1963年開通)が急ピッチで造られた。それに合わせて東名高速道の工事が、この赤坂宿でも行われた。「昭和39年以前昔の宿場の景観が残っていた。周りの仲間たちがみな土地買収に応じてしまった。当時はこうした景観が将来貴重な資源になるとは想像できなかった」との発言は印象的だった。
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絵 金森 達
東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五街道の基点がなぜ日本橋か?今回のテーマにはさらにかずかずの枝葉のテーマがある。これほど重要な基点がなぜ首都高速道によって上空を覆われ、日本橋の景観が無視されたのか?号令をかけた無粋な官僚や政治家は誰か?今議論されている日本橋再生プロジェクトで日本橋は将来どうなる、成功するのか?
徳川家康は豊臣秀吉に関東への領地替えを命じられ、江戸の地を中心地に選んだ。関東平野の中心地で交通の要所であったこと。太田道灌の江戸城以来の城下町としての起訴があったこと。隅田川河口に位置し江戸湊の水運、河川交通に優れた地であることといわれる。(玉井哲雄著「都市の計画と建設」岩波講座 日本通史第11巻近世1)1590年に入府以来、全国の大名を動員して、江戸湊という流通拠点を江戸城下に組み込む埋め立て事業を敢行する。この結果、1603年に架橋された日本橋と日本橋界隈にめぐらされた水路の発展とあいまって日本橋川と呼ばれる2kmあまりの両河岸に広がった町並みが後に江戸発展の起点となった。日本橋名の由来について、「御府内備考」に「この橋、江戸の中央にして、諸国の行程もここより定められるゆえ、日本橋の名ありといふ」との記述がある。慶長9年(1604年)五街道の制ができた時、日本橋を起点としてすべての道路を発展させようとした幕府の理念が日本橋の名になったようだ。
当時、日本橋界隈には、金貨を鋳造する金座(その跡地が日本銀行)が設置され、商業、金融、文化の中心地として発展した。天保5年(1834年)版の歌川広重「東海道五十三次・朝之景」(宝永堂)には、七つ立ち(午前4時)の活況を呈する日常の様子が描かれている。最初の日本橋は万治元年(1658年)に火災で消失、翌年架設後に日本橋名物の擬宝珠(ぎぼし)が施された。その後幾度も火災により現在の橋になるまで19回かけ直された。万治元年に飾られた擬宝珠が日本橋の南橋詰西側そばにある元禄2年(1689年)創業の漆器店「黒江屋」のショーウィンドウに飾られている。
江戸時代の史跡が現存するのが擬宝珠ひとつとは、嘆かわしいかぎりだ。何度も架け直されたとしても木橋や界隈の町並みが残っていたら、日本有数の歴史的観光資源(当然、世界遺産登録になっているはず)として日本の経済効果が発揮されたはずだ。平成12年(2000年)に旧東海道五十三次・赤坂宿を歩いたときの旅籠屋大橋屋の第19代目主人の話が忘れられない。大橋屋は慶安2年(1649年)創業で、宝永6年(1709年)再建後の建築物を一部そのまま使って営業している。東京オリンピック開業(1964年)に合わせて、首都高速道、名神高速道、新幹線(昭和39年・1963年開通)が急ピッチで造られた。それに合わせて東名高速道の工事が、この赤坂宿でも行われた。「昭和39年以前昔の宿場の景観が残っていた。周りの仲間たちがみな土地買収に応じてしまった。当時はこうした景観が将来貴重な資源になるとは想像できなかった」との発言は印象的だった。
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メルヘンの里に癒しの隠れ家・・・「深沢 小さな美術館」を訪ねて! 2012.4.10 [東京・青梅周辺]
メルヘンの里に癒しの隠れ家・・・「深沢 小さな美術館」を訪ねて! 2012.4.10

東京・五日市の「深沢 小さな美術館」
「新婦人しんぶん」に紹介されていた東京・五日市の「深沢 小さな美術館」の桐と和紙で作られた「樹の娘(きのこ)シリーズ」の照明器具を見て早速出かけた。東京青梅からは、車で約30分。秋川街道を行き、JR五日市駅の手前、五日市郵便局を右折、しばらく行くとユーモラスな顔をした木彫りのおじいさんZiZi(ジージ)が道端にところどころに道案内かのように立っている。山奥に入るほどに、水仙の植え込みや山桜の春爛漫の景色は、メルヘンチックな世界へ誘導されるようだ。
やがて、穴沢天神社へ。社の前に道祖神と古石仏が鎮座する。安政4年や享保6年の銘刻が入る。さらに行くと左手の入り口に大きなZiZI(ジージ)がお出迎え。

穴沢天神社

穴沢天神社 メルヘンの里癒しの隠れ家への入り口




道端には、シンボルポールZiZI(ジージ)が見守る
美術館は森に囲まれ石壁風の壁に包まれたメルヘンチックな建物。左手の池には、大きな錦鯉がゆうゆうと泳いでいる。館内中央には、桐と和紙でできた「樹の娘(きのこ)」シリーズの大小の木造りの柔らかいキノコの明かり、NHK「プリンプリン物語」の人形たち、手足の長い少女をモチーフにした「聖女幻想」、「虹を食う魚」「ゆっくり行こう」など一話物語風作品群が展示されている。

入り口のZiZI(ジージ)

メルヘンチックな小さな美術館正面入り口

メルヘンチックな小さな美術館正面入り口

入り口を入った吹き抜けの中央に「樹の娘(きのこ)」が・・・
「深沢 小さな美術館」は、造形作家・友永詔三(ともながあきみつ)氏による私設美術館で、途上の美術館にいたる道筋からすでに美術館が始まっているような山奥深いメルヘンチックな美術館である。展示作品には氏の奇抜なアイデアやユーモアあふれる意思が仄見えてなんだかほっこりする。28年前にここに越した時、180年前の江戸後期の古建築家屋を改装して今の形に造り替えた。柱と梁はそのままに残し、蚕棚として使われた中二階の一部は吹き抜きにした。すべて友永詔三氏の手造りだという。戦時中、高知県の山奥で生まれ育って培われた経験がそのまま生かされたということか。東京のデザイナー学院で学び、オーストラリアで美術の仕事を2年間経験した。帰国後、「くるみ割り人形」のパイロットフイルムやNHK「プリンプリン物語」、NHK教育テレビ等の人形美術をはじめ、ニューヨークKCCホールにて舞踏劇の演出・舞台美術・人形美術を担当、木彫・ブロンズ・版画などの作品を手がけ、全国各地で個展を開催している。

聖女幻想(美術館案内より)

一話物語風作品群(美術館案内より)

一話物語風作品群 虹を食う魚
入り口でご夫人に迎えられ、他の客がいないのでずっと案内していただき、おしゃべりにつきあっていただいた。美術館の右手にある一話物語風作品群は、15年前からの作品で猪と人のシーソーで表現した小作品「みんな友だち」は、4~5年前猪出没で作物の被害が出て大騒ぎをした時期に作られたものと知り、ついにんまりしてしまった。「虹を食う魚」の発想には驚き!ご夫人の友永詔三評は「いらいら悩むことのない性格」で、とにかく穏やかで正直でおちゃめのようだ。私は門外漢ながら、作品にその人柄がにじみ出ていると思う。これからの時期、春の花にいっそう囲まれた時期に来ていただきたいという。喫茶室(屋内外)でゆっくりくつろぐのもいい。

喫茶室


売店にもZiZIが大勢・・・・

錦鯉の棲む池の前のご夫人

入り口前に鎮座する大岩に沢山の植物が・・・
ところで五日市深沢というと、明治時代の自由民権運動家千葉卓三郎による五日市憲法草案で有名である。既存する民間憲法草案中屈指のものと評価されている。昭和43年東慶大教授色川大吉氏らにより、山林地主だった深沢家旧宅(深沢権八)の土蔵より発見された。五日市憲法草案複製や当時の懇談会の記録などの文書は、あきるの市五日市郷土資料館に展示されている。
ついでに、この近くには天然温泉「秋川渓谷 瀬音の湯」があり、内湯の大浴場(露天風呂は循環式)は湯がつるつるの「美人の湯」なかなか人気でおすすめです。深沢から15分で行くことができる。何度か私のブログでも紹介している。http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2012-02-27
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東京・五日市の「深沢 小さな美術館」
「新婦人しんぶん」に紹介されていた東京・五日市の「深沢 小さな美術館」の桐と和紙で作られた「樹の娘(きのこ)シリーズ」の照明器具を見て早速出かけた。東京青梅からは、車で約30分。秋川街道を行き、JR五日市駅の手前、五日市郵便局を右折、しばらく行くとユーモラスな顔をした木彫りのおじいさんZiZi(ジージ)が道端にところどころに道案内かのように立っている。山奥に入るほどに、水仙の植え込みや山桜の春爛漫の景色は、メルヘンチックな世界へ誘導されるようだ。
やがて、穴沢天神社へ。社の前に道祖神と古石仏が鎮座する。安政4年や享保6年の銘刻が入る。さらに行くと左手の入り口に大きなZiZI(ジージ)がお出迎え。

穴沢天神社

穴沢天神社 メルヘンの里癒しの隠れ家への入り口




道端には、シンボルポールZiZI(ジージ)が見守る
美術館は森に囲まれ石壁風の壁に包まれたメルヘンチックな建物。左手の池には、大きな錦鯉がゆうゆうと泳いでいる。館内中央には、桐と和紙でできた「樹の娘(きのこ)」シリーズの大小の木造りの柔らかいキノコの明かり、NHK「プリンプリン物語」の人形たち、手足の長い少女をモチーフにした「聖女幻想」、「虹を食う魚」「ゆっくり行こう」など一話物語風作品群が展示されている。

入り口のZiZI(ジージ)

メルヘンチックな小さな美術館正面入り口

メルヘンチックな小さな美術館正面入り口

入り口を入った吹き抜けの中央に「樹の娘(きのこ)」が・・・
「深沢 小さな美術館」は、造形作家・友永詔三(ともながあきみつ)氏による私設美術館で、途上の美術館にいたる道筋からすでに美術館が始まっているような山奥深いメルヘンチックな美術館である。展示作品には氏の奇抜なアイデアやユーモアあふれる意思が仄見えてなんだかほっこりする。28年前にここに越した時、180年前の江戸後期の古建築家屋を改装して今の形に造り替えた。柱と梁はそのままに残し、蚕棚として使われた中二階の一部は吹き抜きにした。すべて友永詔三氏の手造りだという。戦時中、高知県の山奥で生まれ育って培われた経験がそのまま生かされたということか。東京のデザイナー学院で学び、オーストラリアで美術の仕事を2年間経験した。帰国後、「くるみ割り人形」のパイロットフイルムやNHK「プリンプリン物語」、NHK教育テレビ等の人形美術をはじめ、ニューヨークKCCホールにて舞踏劇の演出・舞台美術・人形美術を担当、木彫・ブロンズ・版画などの作品を手がけ、全国各地で個展を開催している。

聖女幻想(美術館案内より)

一話物語風作品群(美術館案内より)

一話物語風作品群 虹を食う魚
入り口でご夫人に迎えられ、他の客がいないのでずっと案内していただき、おしゃべりにつきあっていただいた。美術館の右手にある一話物語風作品群は、15年前からの作品で猪と人のシーソーで表現した小作品「みんな友だち」は、4~5年前猪出没で作物の被害が出て大騒ぎをした時期に作られたものと知り、ついにんまりしてしまった。「虹を食う魚」の発想には驚き!ご夫人の友永詔三評は「いらいら悩むことのない性格」で、とにかく穏やかで正直でおちゃめのようだ。私は門外漢ながら、作品にその人柄がにじみ出ていると思う。これからの時期、春の花にいっそう囲まれた時期に来ていただきたいという。喫茶室(屋内外)でゆっくりくつろぐのもいい。

喫茶室


売店にもZiZIが大勢・・・・

錦鯉の棲む池の前のご夫人

入り口前に鎮座する大岩に沢山の植物が・・・
ところで五日市深沢というと、明治時代の自由民権運動家千葉卓三郎による五日市憲法草案で有名である。既存する民間憲法草案中屈指のものと評価されている。昭和43年東慶大教授色川大吉氏らにより、山林地主だった深沢家旧宅(深沢権八)の土蔵より発見された。五日市憲法草案複製や当時の懇談会の記録などの文書は、あきるの市五日市郷土資料館に展示されている。
ついでに、この近くには天然温泉「秋川渓谷 瀬音の湯」があり、内湯の大浴場(露天風呂は循環式)は湯がつるつるの「美人の湯」なかなか人気でおすすめです。深沢から15分で行くことができる。何度か私のブログでも紹介している。http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2012-02-27
旅と温泉の相談室アスパサービスhttp://www.a-spa.co.jp/
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エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
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旧街道歩き閑話 1. 十九夜信仰と健康について [旧街道を歩く]
旧街道歩き閑話 1. 十九夜信仰と健康について

金森 達 画
私は、12年前から旧東海道五十三次を皮切りに旧街道歩きを始めた。一度に通して500kmを歩くことは無理なので、何度も歩きつないで完歩するという歩き方だ。その後、「旧中山道六十九次」、「青梅街道」、「日光街道」から繋いで松尾芭蕉「奥の細道」、今は「甲州街道」を歩き、韮崎まで歩き繋いでいる。その経験から、旧街道を歩くことで気付いたことを書き連ねてみたい。
旧街道を歩いていて、十九夜供養塔や二十三夜供養塔に出会うことが珍しくなかった。十九夜供養塔は、関東地区で3,000基以上建立されているという。(石田年子氏の2011年の集計)特に栃木県が圧倒的に多く、次いで茨城県、福島県、千葉県と続く。旧暦19日の夜、女性が寺や当番の家に集まって、講を開き如意輪観音の前で経文や和讃を唱える行事を「十九夜講」と呼び、祈願の信仰対象の成就の証として建立されたのが十九夜塔である。ある研究によると十九夜の由来は、女の厄払いと安産(難産除け)祈願だったという。若い女性の厄年が十九歳だからとの説もある。(かつしか歴史と民話の会資料)
江戸時代の農家の女性は、厄除けや安産祈願のほかに日常の重労働と舅や姑のいびりに悩まされ、仏への祈りに助けを求めていたと考えるのは極自然だろう。日ごろの鬱憤を女性たちにとっては、気兼ねなく話せる貴重な時間だったに違いない。つらい労働のこと、理想的にはならない子育てのこと、舅や姑とのいさかいのこと、理解してくれない夫のこと、妊娠や出産の不安、貧しさからの不健康な食事からくる病気の数々・・・弱い女性たちにとって恐れや心配の種は尽きない。十九夜講が集まる女性たちの互いのコミニュケーションの場となり、ストレス解消や心身の癒しに良い影響を与えたであろうことは容易に見て取れる。
信仰と健康のかかわりについての研究は、昔からあったと思われるが、アメリカ・ペンシルベニア大学のアンドリュー・ニューバーグ博士の研究では、100人以上の人々が様々な方法の瞑想や祈りを行う中で、脳をスキャンして調べてみると前頭葉が主体となって活動していて、祈りや瞑想、経文を唱え続けていると前頭葉の活動が次第に静かになり、長く続けていると前頭葉が分厚くなっていることが解ったという。医学的に何らかの健康への影響があるとうかがわせる話である。
私が旧道を歩きながら特に気付いたのは、信仰活動を続けることで肉体的・物理的な影響が見られるのではないかということだ。経文を唱える時に両手を合わせ、人により肘を両脇につけて、長い時間祈り続けたであろう。精神的な信仰とあいまって、身体的なこうした体を密着させることにより、身体内の熱交流を著しく促す結果となり、気がつくと体が温かくなる、気持ちが高揚することが自覚できたであろう。神仏に念じることで体が熱くなるという自覚が、更なる信仰や日々の生活へ意欲的になる向上的な循環があるのではないかと思う。
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私は、12年前から旧東海道五十三次を皮切りに旧街道歩きを始めた。一度に通して500kmを歩くことは無理なので、何度も歩きつないで完歩するという歩き方だ。その後、「旧中山道六十九次」、「青梅街道」、「日光街道」から繋いで松尾芭蕉「奥の細道」、今は「甲州街道」を歩き、韮崎まで歩き繋いでいる。その経験から、旧街道を歩くことで気付いたことを書き連ねてみたい。
旧街道を歩いていて、十九夜供養塔や二十三夜供養塔に出会うことが珍しくなかった。十九夜供養塔は、関東地区で3,000基以上建立されているという。(石田年子氏の2011年の集計)特に栃木県が圧倒的に多く、次いで茨城県、福島県、千葉県と続く。旧暦19日の夜、女性が寺や当番の家に集まって、講を開き如意輪観音の前で経文や和讃を唱える行事を「十九夜講」と呼び、祈願の信仰対象の成就の証として建立されたのが十九夜塔である。ある研究によると十九夜の由来は、女の厄払いと安産(難産除け)祈願だったという。若い女性の厄年が十九歳だからとの説もある。(かつしか歴史と民話の会資料)
江戸時代の農家の女性は、厄除けや安産祈願のほかに日常の重労働と舅や姑のいびりに悩まされ、仏への祈りに助けを求めていたと考えるのは極自然だろう。日ごろの鬱憤を女性たちにとっては、気兼ねなく話せる貴重な時間だったに違いない。つらい労働のこと、理想的にはならない子育てのこと、舅や姑とのいさかいのこと、理解してくれない夫のこと、妊娠や出産の不安、貧しさからの不健康な食事からくる病気の数々・・・弱い女性たちにとって恐れや心配の種は尽きない。十九夜講が集まる女性たちの互いのコミニュケーションの場となり、ストレス解消や心身の癒しに良い影響を与えたであろうことは容易に見て取れる。
信仰と健康のかかわりについての研究は、昔からあったと思われるが、アメリカ・ペンシルベニア大学のアンドリュー・ニューバーグ博士の研究では、100人以上の人々が様々な方法の瞑想や祈りを行う中で、脳をスキャンして調べてみると前頭葉が主体となって活動していて、祈りや瞑想、経文を唱え続けていると前頭葉の活動が次第に静かになり、長く続けていると前頭葉が分厚くなっていることが解ったという。医学的に何らかの健康への影響があるとうかがわせる話である。
私が旧道を歩きながら特に気付いたのは、信仰活動を続けることで肉体的・物理的な影響が見られるのではないかということだ。経文を唱える時に両手を合わせ、人により肘を両脇につけて、長い時間祈り続けたであろう。精神的な信仰とあいまって、身体的なこうした体を密着させることにより、身体内の熱交流を著しく促す結果となり、気がつくと体が温かくなる、気持ちが高揚することが自覚できたであろう。神仏に念じることで体が熱くなるという自覚が、更なる信仰や日々の生活へ意欲的になる向上的な循環があるのではないかと思う。
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東京・青梅市梅の公園に花見(8分咲き)に出かける!2012.4.01 [東京・青梅周辺]
東京・青梅市梅の公園に花見(8分咲き)に出かける!2012.4.01

東京・青梅市梅の公園
東京・青梅市梅の公園の梅の開花がとても遅れていて、先週の3月25日(日)は3分咲きだった。4月1日に自宅(青梅市長渕)から約4kmはなれた青梅市梅の公園へ徒歩で出かけた。梅の公園へ行く吉野街道を通る渋滞中の車を尻目に、わき道を通って途中の梅林を見ながら約1時間で着いた。青梅は地名の由来が、青梅(あおうめ)のこともあり、梅の栽培が盛んで梅農家が多く、あちこちに梅林があり、日当たりの良し悪しにより長い期間梅の花見が楽しめる。

東京・青梅市梅の公園への途中の小梅林あり・・・・

古いお地蔵様あり・・・

カタクリの群生あり・・・。
公園東口から入園料大人200円(小学生以下は無料)を支払う。石垣で囲まれた坂道を登る。一山全体に梅が咲き誇り、入り口の表示では、7~8分咲きだそうで、花見のお客もぞくぞくと詰め掛ける。「吉野梅郷梅まつり」は、2月18日~3月31日までになっているが、他の花の名所もそうだが、今年は大幅な開花の遅れで、主催者も観光客も戸惑いを隠せない。青梅市梅の公園は、120品種、1,500本がある山の斜面を利用した自然公園で、かつて日経新聞でカメラマンを中心とした審査員による全国ランキングで1位を占めた知る人ぞ知る素晴らしい梅の名所である。家族5人リュック姿で駆けつけ、昼食は草わらにシートを敷いてお弁当を食べる。私は持参のワイングラスにワインを、つまみには燻製チーズ、烏賊の塩辛などで花より団子とまではいかないが、花も団子も楽しめ、満足である。俳句の募集もしているとかで、われらも参加。私の拙句「鈴なりのカメラ目線や梅の花」「梅の園飛行機になる父子かな」「梅林の押し黙りたる作句かな」

公園東口入り口







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東京・青梅市梅の公園
東京・青梅市梅の公園の梅の開花がとても遅れていて、先週の3月25日(日)は3分咲きだった。4月1日に自宅(青梅市長渕)から約4kmはなれた青梅市梅の公園へ徒歩で出かけた。梅の公園へ行く吉野街道を通る渋滞中の車を尻目に、わき道を通って途中の梅林を見ながら約1時間で着いた。青梅は地名の由来が、青梅(あおうめ)のこともあり、梅の栽培が盛んで梅農家が多く、あちこちに梅林があり、日当たりの良し悪しにより長い期間梅の花見が楽しめる。

東京・青梅市梅の公園への途中の小梅林あり・・・・

古いお地蔵様あり・・・

カタクリの群生あり・・・。
公園東口から入園料大人200円(小学生以下は無料)を支払う。石垣で囲まれた坂道を登る。一山全体に梅が咲き誇り、入り口の表示では、7~8分咲きだそうで、花見のお客もぞくぞくと詰め掛ける。「吉野梅郷梅まつり」は、2月18日~3月31日までになっているが、他の花の名所もそうだが、今年は大幅な開花の遅れで、主催者も観光客も戸惑いを隠せない。青梅市梅の公園は、120品種、1,500本がある山の斜面を利用した自然公園で、かつて日経新聞でカメラマンを中心とした審査員による全国ランキングで1位を占めた知る人ぞ知る素晴らしい梅の名所である。家族5人リュック姿で駆けつけ、昼食は草わらにシートを敷いてお弁当を食べる。私は持参のワイングラスにワインを、つまみには燻製チーズ、烏賊の塩辛などで花より団子とまではいかないが、花も団子も楽しめ、満足である。俳句の募集もしているとかで、われらも参加。私の拙句「鈴なりのカメラ目線や梅の花」「梅の園飛行機になる父子かな」「梅林の押し黙りたる作句かな」

公園東口入り口







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東京・築地散策、浅草大黒家で天丼、新大久保・韓流エリア散策に行く!2012.3.26 [東京・青梅周辺]
東京・築地散策、浅草大黒家で天丼、新大久保・韓流エリア散策に行く!2012.3.26

築地・マグロ解体ショーも見せる!
青梅商工会議所観光部会の主催で、東京・築地散策、浅草大黒家で天丼を食べ、大黒家のオーナーで浅草商店連合会理事長丸山眞司氏の講演を聞く。その後、浅草の散策後は韓流エリアで目覚しい発展を遂げているらしい新大久保散策に出かけた。
この日は朝から晴天。東京・築地場外市場に着いたのは、10時45分頃で12時まで散策で過ごした。バス車内では、東都観光バスの若いガイドさんから、ぜひ寄ってみたいいくつかの店を紹介していただいた。玉子焼きの丸武、かまぼこの紀文、鮮魚の三宅水産など・・・。私は団体でランチが食べられる場所を探し、「すしざんまい別館」に立ち寄った。ガイドさんお勧めの「かまぼこの紀文」の烏賊のげそを賞味した。もんぜき通りのラーメン屋「井上」には15~16人の行列ができていた。深大寺蕎麦には、「只今の時間は50円引き」のチラシが張ってある。魚がし横丁の「大和寿司」には、50人が行列を作っていた。築地場外市場のはずれに魚河岸水神社を見つけた。

かまぼこの紀文

すしざんまい別館

紀文の揚げ物

子持ち(数の子)みがき鰊

マグロの解体ショーもある

河岸水神社
築地から浅草の大黒家別館へ。4階のりっぱな集会所でこの店自慢の海老4本入り天丼と胡瓜・しらすの酢の物、味噌汁と香の物で昼食。食後は同場所で、丸山眞司氏の講演を1時間ほど聞くことができた。「各種イベントだけではなく、感謝の気持ちで接する日常のお客様との交流人口の増加が地域発展に結びつく。人に優しい(高齢者・身体障害者・外国人・健常者すべてが対象)街作り、歴史・伝統文化を大切にすること・・・」

大黒家別館

浅草商店連合会理事長丸山眞司氏の講演
その後の散策では、13時から営業をしている温泉銭湯「蛇骨の湯」に入浴に出かけた。かつて、初詣の折にブログで紹介したことがある。http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2010-01-11 (私の全国温泉巡浴1283湯目の温泉)浴室は天井が高く、タイル絵はお決まりの富士山。茶色の天然温泉のほかに電気湯、ジェット湯、半露天風呂もある。メタ珪酸&重炭酸ソーダに温泉成分で入浴料は450円。近くには浅草観音温泉も6時30分から営業している。(私の全国温泉巡浴155湯目の温泉)

温泉銭湯「蛇骨の湯」への通り

温泉銭湯「蛇骨の湯」入り口

浅草から見た「東京スカイツリー」

雷門

雷門からの眺望
その後、新大久保へ移動。職安通りの郵便局前で観光バスを降りて、80分ほどの散策開始。JR新大久保駅を左手にして、大久保通りと職安通りの間のエリアに韓流グッズやグルメ、コスメ、衣料品・食料品店が並び一大コリア街となっている。若い女性客がぞろぞろと列をなして観光客の95%が女性という男性にとってはちょっとここに居難い感じさえする。一通り回って、イケメン通りのドンキホーテ・コリアタウンで焼小龍包2個で200円を賞味した。渡されるときに「食べる前に箸で突いてから食べてください」といわれそのように食べたが、噛んだ瞬間に小龍包の中の熱い汁がぴゅーっとブレザーとパンツに飛び、シミを作ってしまった。とても美味しかったのに残念!対面にある「手作りキムチ広場」には各種キムチの試食ができる。団体客が食べられる場所はないかと探し、職安通りに面した「韓国料理・炭火焼肉の大使館」を見つけた。隣接した民芸品店「仁寺洞」では、チマチョゴリ姿で記念撮影ができる。また、職安通り南側には、国内最大規模の韓国食品スーパー「韓国広場」があり、3000種類を超える品揃えを誇る。この韓流エリアは将来、横浜中華街のような新大久保コリア街になるのだろうか。

新大久保駅近くの韓流ショップ

近くにある海亀山金龍寺入り口


「コリアタウン」で焼小龍包を食べる

職安通り側にある「韓国料理・炭火焼肉の「大使館」

「大使館」の団体用席

民芸品店「仁寺洞」
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この日は朝から晴天。東京・築地場外市場に着いたのは、10時45分頃で12時まで散策で過ごした。バス車内では、東都観光バスの若いガイドさんから、ぜひ寄ってみたいいくつかの店を紹介していただいた。玉子焼きの丸武、かまぼこの紀文、鮮魚の三宅水産など・・・。私は団体でランチが食べられる場所を探し、「すしざんまい別館」に立ち寄った。ガイドさんお勧めの「かまぼこの紀文」の烏賊のげそを賞味した。もんぜき通りのラーメン屋「井上」には15~16人の行列ができていた。深大寺蕎麦には、「只今の時間は50円引き」のチラシが張ってある。魚がし横丁の「大和寿司」には、50人が行列を作っていた。築地場外市場のはずれに魚河岸水神社を見つけた。

かまぼこの紀文

すしざんまい別館

紀文の揚げ物

子持ち(数の子)みがき鰊

マグロの解体ショーもある

河岸水神社
築地から浅草の大黒家別館へ。4階のりっぱな集会所でこの店自慢の海老4本入り天丼と胡瓜・しらすの酢の物、味噌汁と香の物で昼食。食後は同場所で、丸山眞司氏の講演を1時間ほど聞くことができた。「各種イベントだけではなく、感謝の気持ちで接する日常のお客様との交流人口の増加が地域発展に結びつく。人に優しい(高齢者・身体障害者・外国人・健常者すべてが対象)街作り、歴史・伝統文化を大切にすること・・・」

大黒家別館

浅草商店連合会理事長丸山眞司氏の講演
その後の散策では、13時から営業をしている温泉銭湯「蛇骨の湯」に入浴に出かけた。かつて、初詣の折にブログで紹介したことがある。http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2010-01-11 (私の全国温泉巡浴1283湯目の温泉)浴室は天井が高く、タイル絵はお決まりの富士山。茶色の天然温泉のほかに電気湯、ジェット湯、半露天風呂もある。メタ珪酸&重炭酸ソーダに温泉成分で入浴料は450円。近くには浅草観音温泉も6時30分から営業している。(私の全国温泉巡浴155湯目の温泉)

温泉銭湯「蛇骨の湯」への通り

温泉銭湯「蛇骨の湯」入り口

浅草から見た「東京スカイツリー」

雷門

雷門からの眺望
その後、新大久保へ移動。職安通りの郵便局前で観光バスを降りて、80分ほどの散策開始。JR新大久保駅を左手にして、大久保通りと職安通りの間のエリアに韓流グッズやグルメ、コスメ、衣料品・食料品店が並び一大コリア街となっている。若い女性客がぞろぞろと列をなして観光客の95%が女性という男性にとってはちょっとここに居難い感じさえする。一通り回って、イケメン通りのドンキホーテ・コリアタウンで焼小龍包2個で200円を賞味した。渡されるときに「食べる前に箸で突いてから食べてください」といわれそのように食べたが、噛んだ瞬間に小龍包の中の熱い汁がぴゅーっとブレザーとパンツに飛び、シミを作ってしまった。とても美味しかったのに残念!対面にある「手作りキムチ広場」には各種キムチの試食ができる。団体客が食べられる場所はないかと探し、職安通りに面した「韓国料理・炭火焼肉の大使館」を見つけた。隣接した民芸品店「仁寺洞」では、チマチョゴリ姿で記念撮影ができる。また、職安通り南側には、国内最大規模の韓国食品スーパー「韓国広場」があり、3000種類を超える品揃えを誇る。この韓流エリアは将来、横浜中華街のような新大久保コリア街になるのだろうか。

新大久保駅近くの韓流ショップ

近くにある海亀山金龍寺入り口


「コリアタウン」で焼小龍包を食べる

職安通り側にある「韓国料理・炭火焼肉の「大使館」

「大使館」の団体用席

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